東京公園文庫6 中川志郎「多摩動物公園」

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東京公園文庫は2冊持っている。上野公園と多摩動物公園。埼玉県の戸田市に3年ちょっと住んでいたときは井の頭公園へもふらりと出かけることがあった。井の頭公園も東京公園文庫にあるから読んでみたいなあと思う。

動物園が好き。この東京公園文庫には多摩動物公園が作られたきっかけは上野動物園に沢山のお客さんがやってきて動物たちがゆったりとしていられないことが理由のひとつであったとある。春夏秋冬。わたしも上野動物園へはいそいそ出掛けて行った。

東京公園文庫「多摩動物公園」は武蔵野に多摩動物公園を作るという一大事業の苦労が様々綴られてあり興味深い。

構想時には新宿に作られる予定であったことや竣工時に予め決められた開園日までの約2年間の工事期間中、作業はつねに押せ押せでそれは大変であったが、開園日には新しい動物園をこの目でみたいという人々が押し寄せ、開演時間は1時間繰り上げられたとある。動物園好きのわたしは胸に熱いものが込み上げる。

わたしが1番好きなページは'古賀メモ'のページだ。

古賀さんというのは古賀忠道(1903年-1986)。1937年の上野動物園の初代園長である。明治15年(1882)創業の上野動物園にはその年まで園長制度はなかった。

古賀メモというのは多摩動物公園構想を発案した古賀忠道が「こんな動物園がいいな」と書き記したノートで、動物園好きの人間なら誰でも、読めば必ずグッとくる内容なんである。

古賀メモの全文はこの東京公園文庫には載っていない。何処かにあるならばわたしは是非とも全文を入手したい。

古賀忠道多摩動物公園構想案を当時の動物園関連の冊子に寄せているがそれによれば多摩動物公園は大規模な「無柵放養式」でかつまたサルやシカが園内を自由に歩き回る「完全放養式」を目指していた。

かつて上野動物園にはスージーという調教されたメスのチンパンジーがいたという。調教師に付き添われ、自分が暮らしている類人猿舎とステージとを赤い自転車ですいすいと行き来したという。

日本サルやチンパンジーの調教については当時から動物愛護団体が様々に意見した。もちろん動物には個体差があるから嫌がる動物になにか芸当を強要するのは可哀想なことだけれどスージーが自ら喜んで訓練に勤しんだことをわたしは何冊かの本で読んだ。

多摩動物公園開園。スージーは調教師を伴って自家用ヘリで出勤した。爆音と共にヘリから躍り出たスージーが大勢の職員たちを大喜びさせる。

こういうの読んで泣いちゃうってさ、やっぱわたしって脳の病気なのかなあ。

ああスージー。会いたい。

クネードリキ(チェコの茹でパン)

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冬になりインスタグラムでフォローさせて頂いているドイツの方々のページに色々なスープが出るようになった。ある日グヤーシュ(パプリカで赤くなった肉スープ、ドイツ語ではグーラッシュ)(グヤーシャはハンガリーの呼び方)にまん丸のマッシュポテトがふたつ添えられていた。

大きさは温州みかんくらいのやつがポピュラーサイズである。手で丸めるのだろうか。完全に近い球体。表面はすべすべしている。もしも型でつくるならば合わせ目に線が出るよなあ。やっぱころころと手で丸めてるんだろうな。

マッシュポテトではないクネーデルも定番で鶏の挽き肉とか鶏のレバーがパン粉を繋ぎ香草類も入っていて大きさは変わらないが見た目はマッシュポテトとは全く異なる。こちらはたいていブロードの中央にでんと置いてある。ふたつかみっつ。

ゲームクヌーデルというデザートの写真もよく見かける。ゲームクヌーデルは見た目はカスタード色をした手のひらサイズの鏡餅。デザート用の小皿いっぱい、余白なしに盛り付けてある。芥子の実がふんだんに掛けられ中には杏ジャムが仕込まれている。平ぺったいあんまんみたいな感じか。ゲームクヌーデルは甘い発酵生地。熱いミルクで茹でて完成なのでGoogle翻訳で時々'餃子'とか訳していて笑える。まあ理にかなってはいる。溶かしバターの中にでん。是非いちど食べてみたい。

さてクネードリキはなかなか調べがつかなかった。まず読めない。ドイツ語じゃないのだ。だけどドイツの人が作ったりお店で食べたりしているよ、何だろ何だろと調査をし続けた。

クネードリキは一番美味しそうだ。初めはあら潰しのマッシュポテトかなとも思った。俵型をスライスしたものが3枚グヤーシャに添えられていた。だけどマッシュポテトなら潰してあるはずだよね。作ってみたいわたしはタグを念入りに調べあげるのだ。

チェコの料理家がチェコ語でいうところの'お料理大好き'というホームページを発見(後ほど同アプリも発見した)。youtubeでクネードリキの作り方動画を見つけたときは嬉しかったけれどチェコへ行きたくなっていた何かが先送りにされたのは確かだった。

クネードリキは発酵生地(生イーストと思われる)。サラサラの粉に卵とミルク。角切りのパンも入れる。驚いたのは太めのズッキーニみたいな、沖縄で見たもーうぃみたいな、まだ焼く前でこれからクープ入れるよっていうシュトレンみたいなデクノボウ君を鍋で茹でて完成だった。膨らんだクネードリキが二本、鍋でギチギチになって蓋を押し上げている。見た目悪過ぎる。こういうの大好物。はっと閃いてGoogle君に戻り翻訳をお願いすると'餃子'。ユリイカ。面白過ぎるぞ。

その動画のクネードリキはパンほどは捏ねていなかった。地粉なのか。何度か寝かしていたが茹でるまではそこまで膨らまないところを見るとあれは生イーストではなく酵母かもしれない。

わからないチェコ語の響き。摩訶不思議な外国のひと皿。

クネードリキを是非とも食べたい。

ヴァーシャ・プルジーホダのワルツ

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先週愛知県瀬戸市の岩屋堂という国定公園へふらりと立ち寄った。もう紅葉もすっかり終わり観光客は疎ら。枯れ木を見に行った。滝まで行った帰りがけ熊に注意の看板を見た。

「東欧革命」は辛い本。著者はハンガリーの本をこれより先に書いていてそれも読んでみたい。1989年の5月ハンガリーはオーストリア側の国境を解放した。2人の国境警備兵がニッパーで鉄条網の切断をする笑顔のモノクロのスナップショット。

イザベル・フォンセーカはまだアルバニア。ロマは本を読まない。詩人であり歌手でもあったあるロマの女性はその歌声をメディア取り上げられ賞賛されたが居場所を失い狂気の中で亡くなった。詩人が民族や国家を歌うことの禁忌についての何冊かの教科書を読んでいればそんなことにはならなかっただろう。いやそんな教科書を読まなかったから彼女の歌には人気があった。

辛くなると新潮文庫「ヨーロッパ鉄道旅行」を読む。宮脇俊三はビビリながらもヨーロッパを駆け抜けた。この世界で自分とつながりのないことなんてないのだと貪欲に車窓に張り付いた。

ヴァーシャ・プルジーホダ(Váša Příhoda, 1900-1960)はアルバムのラストの1曲。このワルツがとても切ない。ヴァイオリンが奏でる泣いているようなピアニシモ。今日はなかなか朝が来ないなあ。

東欧のある劇作家は逮捕に備えて獄中生活用品一式を詰めたスーツケースを持ち歩いたとある。スーツケースとは此れ如何に。詩人は己れの脳味噌を護る。

いつでも微笑みを。

そうだこんなときはミスチルだな。

名栗

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(明治村3丁目21番地 西園寺公望別邸坐漁荘)

名栗というのは『ちょうな』という専用の道具を使って角材の表面に痕を残す加工技術のことで、初めて見たときは???となってしまった。いつまでも柱をなでなでしていたら学芸員さんがやってきて説明をしてくれる。数寄屋造りというのはつまり”フォーマルじゃない”というニュアンスのことらしい。その建物には幾つもの縦横の柱にこの名栗がランダムに施してあった。

名栗ですよね。学芸員さんはいやあ素晴らしい、名栗はいいですね、みたいな感じにしみじみと言うがそのときのわたしはそれが伝統的なニッポン工芸の手法のひとつだということを知らないしその日は名栗が実は'殴り'にしか聴こえず、なお一層そうなのかと殴られた柱の傷を撫でていたのだった。

帰宅後名栗をリサーチ。栗の木であった。名栗であった。殴り名栗と一日中呟いていた。昨日午後村へ。殴られた柱だらけの重要文化財の特別展示(中に入れる)は3時までだ。村はとても広い。年間パスポートを購入して正式に村民となった我々は指定された駐車場に車を停めよと指示されていた。

北門からその重文までは走っても10分はかかるか。最寄りのコンビニに寄ったときにはもう2時を過ぎていた。間に合うかな。この夫は世界一のんびりさんなのだ。

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これは風呂場へと続く脱衣所の床の一部分。これも殴りなのかな。なでなでしていたら学芸員さんがまたもやなんとも言えないしたり顔で近づいてきた。殴り?わたしは先手を取る。ええ名栗です。まだ息が切れる。走り込み滑り込んでの殴りを一枚撮る。

この建物の持ち主は江戸明治大正昭和を生きぬいた華族の重鎮。明治天皇の近習だった。近習というのは近くで支えたという意味だが調べてみたら主従関係よりはむしろぐっと親しい関係であったようである。

学芸員たちは華族の位に詳しく菊花紋章や桐の紋の由来なんかも語る。しかしわたしが興味があるのは殴りであった。これは難しいんですか?んー、どうでしょう‥‥。専門外か。ちょうなを使います。道具名を教えてくれる。それは調べてきたよ。わたしは黙って学芸員を見た。

ふと見ると夫は竹好きだった家人が随所にあしらったという竹材をしげしげと眺めている。窓には外側に径の揃った細い竹がみも美しく囲んでいる。だがしかし細い竹のその一本一本に鉄柱が仕込んである。この家が建つだいぶ前には家人の従者が暗殺された。内戦の動乱を生きた人々の家なのである。

二階の広間からは駿河湾が一望出来た。駿河湾に見立てて地元の池が眼下に広がっていた。赤や青や黄色。この日は色とりどりと貸しボートのワカサギ釣りが盛況である。

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帰りがけ上がりかまちに殴りを見つけた。写真を撮っていたら「どちらからいらっしゃいました?」学芸員が夫に尋ねた。やれやれ挙動不審の妻に今日もご苦労さんだ。

ヤロスラフ・コチアンのセレナーデ

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出来事の記録。随分寒くなりました。今週は燃えるゴミの出し忘れと鉄瓶の空焚きなど不祥事多かりし。我が脳内機能低下の一途を辿るべく候。だから?それが何か?

スーパーで買い物。ひとり買い物が久しぶりでスターバックスなるところで一服。黄昏。みるみる日が落ちてゆくよ。イザベル・フォンセーカはまだ読み終わらない。夢中で読む。ひたすら読む。

ここ何時まで?おねいさんに閉店時間を尋ね、大丈夫そうだと夫に仕事帰りにわしを拾ってくれとラインした。すると結構早い時間に夫が店内に現れた。残業やめた。こういうところ、この人の好いところ。

週末は村へ行く?行こうか。わたしたちは明治村のことを親しみを込めて村と呼んでいる。わたしはこの2週間で3回村へ行った。

先日は大正11年の古い建造物の特別ガイドを聞くという友人に付いていった。デザイン職や大工さんたちもこぞって見に来るという彼方此方に細かな細工を施した遊びたっぷりの数寄屋造りだ。何を撮影してもいい。おおらかなんですね。わたしがそう言ったら学芸員さんは笑った。

ヤロスラフ・コチアン(Jaroslav Kocián, 1883年 – 1950年 )はチェコのヴァイオリニスト。アルバムに3曲入っているうちの一曲。セレナーデを繰り返し聴く。

セレナーデってなんや。調べたら恋の曲だった。モーツァルトアイネクライネナハトムジークもグレンミラーのムーンライトセレナーデもセレナーデ。

猫の顔を撮った。あーあ、セレナーデに遣られちゃってる。

チェコ共和国

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(愛知県犬山市 明治村)

チェコっていうとなんとなくチェコスロバキアのことだと思ってたんだよね。'93にチェコチェコスロバキアにきちんと別れたみたいだ。ではいつチェコスロバキアになったのってあれこれ読んでいたけれど少し前まではオーストリア帝国って結構な大国で敷地面積はフランスと変わらない。

オーストリアはオーストリアのスープの本しか見てなかった。小さな国なのにめっちゃ気取ってるなあ、なんて。そうかそういうことだったのか。やっぱり大学とか学校出ておくのって大事かもなあ。いや大学行ってないからこその感動。やや劣等感前出しのポジティブ。

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もう30年間聴いているCDが一枚ある。ライナーノーツは失われ、表紙もないし、ケースの蓋は外れてガタガタ。どこか外国へいく友人にお土産何がいい?と聞かれたときわたしは必ずCDと答える。

なんでもいいからさ、そう、テキトーでいいから。深く考えなくていいよ、なんとなく売れ筋みたいなやつ5、6枚買ってきてよ。そんな風に頼む。このポンコツCDもそんなお土産の一枚に違いないのだけれど誰にいつどこのお土産で貰ったのか。わかんないんですね。

CDは溜まって棚に飽和してはねえこれ頂戴よという人にあげちゃったりする。すごく好きなCDを何枚か見繕って引っ越すときにお世話になった人に贈る。これ聴いてわたしを思い出して、なんて言って押し付ける。そんな贈り物を出来る人には滅多に会えないから余計そんなことをしたくなる。

CDが好きだから金があるときは前向きに借りるよりは買っていた。吝嗇(りんしょく)な親に育てられた反動もある。なんでも所有したい衝動と、でもわたしの何かを欲しがる人にはポイとあげたくなる奇妙な瞬間がある。

https://www.instagram.com/p/BNkeSGVhcFP/

チェコのヴァイオリンを聴いている。もう30年間も聴いているポンコツCD。このCDを欲しいという人がいなかったのはこれはいつもひとりで聴いていたから。

これはチェコチェコでもチェコスロバキアチェコのCD。さて今朝も空を撮るか。なんで泣いてる?まあいろいろ。いろいろいろいろ。

愛知県教育振興会 愛知に輝く人々4「 明治のともしび」

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わたしは現役小学生時代からの学校嫌いだけれど学校の思い出はなんやかんやある。小学生時代は転校を何回かした。ある時期校庭の隅に防空壕がまだ残されている小学校に通った。あの時わたしは小学3年生であの学校は創立100年だった。調べてみたら創立は明治の初期であれはとんでもない校舎だった。

明治村で1番驚いたことは古い木造の建物たちが築年数の割に堅牢で中を歩くことも出来たことだった。

わたしは全くの先入観からテーマパークや博物館が嫌いで、これまでそういうものには滅多に近付かないで生きてきた。テーマパークの類は商業主義の権化だと忌み嫌っていたし、博物館なんてのは子爵等が勲章を胸にびっしりとつけたポートレイトを飾る下品な場所だと決めつけていた。

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この「明治のともしび」という本は御当地著名人ライフストーリーのオムニバス本である。図書館の児童書コーナーで偶然見つけたわけ。愛知に関わる偉人伝とあるんだけれど、必ずしも愛知県が故郷ではない人が県内でちょっと働いたりしたことなんかが載せられている。

一冊に20人弱。全部で何巻あるのかはちょっと忘れてしまったけれどこの第4巻「明治のともしび」はAmazonで1円だったので速攻購入した。

ちょっとびっくりだったのが偉人たちのくくりで、一巻にひとりかふたりはビッグな人を載せている(目玉、的な)が、豊臣秀吉北政所があったりする。ひとりずつのプロフィール欄があり、顔写真のない偉人らは似顔絵である。人選やまとめ順はランダムである人は科学者である人は詩人。農業林業お坊さん。本当にいろいろだ。

明治村の創始者土川元夫氏のことはこの本で知った。

その昔小学生時代には道徳の授業というのがあった(今もあるのかな)。道徳の授業では道徳の教科書というのを教員が扱うがこの愛知に輝く人々シリーズは文体や挿絵が道徳の教科書にそっくりだ。巻末を見ると何人もの愛知県の校長先生や教頭先生、平の教員たちが企画・編集者の欄に名前を連ねていた。

わたしの学校嫌いはそれはもう筋金入りであり、はじめてこの道徳の教科書風のこの本を読んだ日には小学生時代のあの言い知れない圧迫感に幾日も苛まれた。

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それでもこの「明治のともしび」の巻は購入して繰り返し読んだのだがそれはこの巻の目玉が徳川家康だったから。ハラハラドキドキジェットコースター幼少期を過ごした徳川家康が可哀想で仕方ない。もし今道徳の授業でこの本を扱ってくれたら、もちろんわたしはもう大人だけれど、きっと熱心に聴いただろうななどと考えたりした。

昨日明治村で古い武道場の中を歩いた。靴を脱いで上がる。ぐるり360度の古ぼけた武道場。飴色の床板がみしみしと鳴る。気付けば子どものわたしがそこにいて、いろんなものに少しだけ優しくなったつもりの、ちょっと妙ちきりんなおばさんのわたしを見ていた。

年を取るってこういうこと。パトリックだ。

おはようパトリック。‥‥それな!