「多重人格者の心の内側の世界」は2003年に出たバリーMコーエンらによるDID当事者154人の手記である。DID当事者の脳で起きている現実を真実味溢れる構成でまとめ上げた良い本だ。
今月私は1人のメイン人格を消失した。
彼女の名はマリ。年齢は不詳。出自は私の出生時であり、マリは、私を常に助け、励まし、時に微笑み、大きく包み込む、いくらでも書けてしまうが、とにかく大きな存在の保護人格であった。
ISH、インナーセルフヘルパー。DIDにはその脳内に自己救済者を持つという説がある。
マリはISHだったのか。
パトナムはISHを観察者としての自我、と定義している。
マリの消失を自我の消失と説明するなら今現在起きている精神の不具合の説明がつき、なにやら整合性は保たれるが、それでも私は存在している。
ではマリはなんだったのか。
DID当事者は治療者や研究者が思っているよりも交代人格の分類など必要とはしていない。もっと言うなら交代人格という呼び方すらイヤだ。
マリは私の母を理想化したものだったのだ。
この認識までの道のりは辛いものだった。
(道のりとはみな長く辛いものだが)
私の母は無邪気な芸術家ではあったが、自分の子に愛情を注ぐ点で安定してはいなかった。
私は複雑性ptsdである。生まれた場所は京都府東九条ゼロ番地で1963年生家はほぼホームレスである。電気は違法に電柱から引いていたらしいが、ガス、水道はなかった。トイレは床板に穴が空いた場所で、そこから、鴨川の支流のどぶ川の水の流れをそおっと覗き込んだ記憶がある。私はDIDとしてはまっとうな出生歴生育歴を持ってはいるが、そうした身分証明は何も良いものを生み出しはしない。
マリに戻ろう。
マリの消失が2年前の5月の母の死に関係しているということを認めるのは大変な作業だった。
母への憎悪、母への愛着これはたいへん強い。
なんなら母無しで生きて来たという偽りの自己満足。50歳にしてこれは少々みっともない。
マリは消えた。
どこにもいない。
では私は保護人格を失ったのか。正確には私たち内部人格全てはマリを失って、生きる術を失ってしまったのか。そうではない。
私が失ったものはたったひとりの母だ。
意地悪でも、残酷でも、私のことを出産した女であることには違いない。
母の死は私の解放となったのかもしれない。そう書けば私は母並みに残酷な精神を持つことを暴露することになる。
歪んだ何かが矯正されることは素晴らしいことだ。DIDの本質は歪みだ。ただし誤解して欲しくない。歪みを戻そうとする心の抵抗力が解離となった。解離が引き起こす転移神経症による悪循環で私の50年の対人関係はろくなもんじゃなかったけど、大局的には悪くなかった。
必要な情報が必要な時に提供されるシステム、解離とは便利なものなのだ。
今日も1時間走りました。
スロージョギングなので早歩きのじーさんに、今日も追い越された。
フォアフットランニングはダンスに似ている。
肩の力を抜いて、ひょいひょい走る。
今日の脳内BGMはブルーハーツのキスして欲しい。
ではでは今日はこのへんで。