ウサギのバイク2

1968年ごろの海外テレビで「宇宙家族ロビンソン」というのがあった。アメリカ人の一家とスミスというドクター(医者なのか博士なのかはわからない)、それからもう一人若いお兄さんがいて、一家の長女の恋人だったようなことを覚えている。 私はこのドラマに夢中だった。うちはすごく貧乏だったが、父の友人に何でも屋をやっているおっさんがいて、とにかく必要な何かはたいていその凄腕な感じのおっさんが調達してくれたから、白黒テレビなんかもそのおっさんがくれたものだったような気がする。 (ちなみに私のランドセルもそのおっさんからのプレゼントで、当時ありえなかったパープル色だった!) 宇宙家族ロビンソンはたしか宇宙を旅する一家の物語だった。末っ子のウィルとドクタースミスがお約束の危機に陥る。その時解決に当たるのがフライデーというロボットだ。おそろしく小回りのきかなさそうな寸胴なボディとレーザービームを発射する円形の頭部、そして決して譲れない良心機能。幾つものハラハラドキドキをフライデーはクリアする。 子どもの私はフライデーに強く憧れた。おそらく脳内人格のフライデーはこのロボットである。そしてフライデーが少年なのはドラマの登場人物であるウィルと混ざっているのだろうか?それとも私がこのドラマを夢中でみていたときの年齢のまま、フライデーが年をとらないからなのだろうか。 こうしたごく幼い子ども時代の記憶を取り戻したのは2000年の精神科初受診の頃である。その時期それまでは上手くやっていた私の人生がじわじわと崩壊を始める。 2歳から8歳までを過ごしたK市での私の生い立ちには辛い出来事が多くあった。なんやかんやでブリーフワーク(こんな言葉だっけ?)はほぼ終了したといっていいだろう。虐待の種類とパターンはDIDとして申し分のないもので、そのことをつらつらと思いだすことには今は少し飽きているのだ。身代わりとなった人格はわかっているだけでも3人ほど。 しかし彼ら彼女らはみな今も幼児であるが、フライデーだけはなんだか時々13歳くらいに思える時がある。こんな風に書くと自分でもそれが一体なんなのか、何歳だって関係ない、だってもともと作りものの架空のものじゃないか、といった、あざけりの言葉が駆け巡る。架空じゃない。今架空といったな!てな感じの脳内闘争、つまり内輪もめ?がどんどん進む。これは定番の脳内ちゃぶ台返し。 どこでどうつながるのやら、このフライデーがウサギたちを統率している、ということなのだ。 ますますどうでもよく思えてくる衝動と闘わねばならないのだが、たくさんの北極ウサギが脳内に存在すること。そのウサギたちがフライデーに懐いていること。要点はこれだ。 今月に入り、私は強烈な希死念慮をかき分けて毎日を過ごしている。あの手この手でなんとか生きながらえている。診察で「生きてたよー!」という主治医との感動の再会をする。危機である。この衝動はフライデーとウサギたちの虚無であった。ウサギたちは集団自決を今も固く決意しているし、フライデーはもう笑わない。 快活で好奇心に満ち、新しいことが好き。いつも元気で気だてがいい、そして何よりもハートが強いフライデーは消えつつあるのだ。 今日はここまでにしましょうね。 今日の脳内BGMはブルーハーツ「チェインギャング」。助けて。誰かフライデーを助けて。もう一台ロボットをください。