TBM

レジリエンスとは何か?簡単に言うと復活力とかそういうことなのだそうだ。wiki解離性同一性障害の文章に「解離かレジリエンスか」というものがあった。私は専門家ではない。だから何か考えついたり、結論を得たところでそれはあくまでも当事者としての見解であり、普遍的な一般論にはなり得ない。

いつも考えることだが、どう転んでも私のような精神病患者の論じる何かを誰かが真面目に読んでくれるんだろうか?私はたいてい半分くらいのことに自信がない。(半分は自信たっぷりなのか)もしもDIDが絶対大丈夫と言ったら、それは解離している状態だから。解離は作り物である。解離は虚構である。哀しいことだ。でも真実だ。

何を書こうと思ったんだっけ。そうだ、除反応について。過去を思い出し、交代人格を呼び出し、彼ら彼女らの持つ感情を分析して、吐き出させ、傾聴し、癒す。除反応のプロセスとはこうである。私は唸る。それが出来たらねー!それをするのは誰?どこで?いつ?

結論から言えば除反応は勝手に進む。止められない。そいつは強力で圧倒的であり、ちょっと待ってが通じない。脳内リゾート(私は交代人格の活動スペースをこう呼んでるのだが)が発生したその機序は秩序はあるが分析は簡単ではない。単純なジグソーパズルのようならばその崩壊は一見して分かる虫食い状のものだが、私の場合、脳内リゾートは三階建てくらいの層を持っている。建造物ではない。地層のような感じである。言いたいことはこういうことだ。深い場所での崩壊、つまりたぶん出生後間もなくから幼児期にかけての、その崩壊がひとたび起こるなら、地表近くはさながら大地震なのである。

凶暴な交代人格が実は幼い子ども人格であるという文献は多い。そしてそれは真実だ。だけど子どもだから?抱っこすれば済む?それで済むなら世界中にいまある乳児院や保護施設の職員たちは苦労しない。泣き続ける子ども。暴君となった9歳児。大局観が大切なことはもちろんだが、希望を与えることが必要だ。

ここでタイトルの謎。TBMとはなんなのか。

トンネルボーリングマシンのことなんですねー。

私は一度だけ陸路で北海道へひとり旅をしたことがある。その時に青函トンネルを特急白鳥で通過した。トンネルのほぼ中央あたりに竜飛海底駅というのがあった。ヘルメットをかぶった人々がぞろぞろと降りて行く。一度降りたら次の白鳥が来るまでは海底に閉じ込められることになる。次にしよう。私は決心した。次に白鳥に乗ったら必ずこの駅で降りて、トンネル工事の資料なんかを眺めたりしよう、そう考えていたのだが、今年3月、竜飛海底駅は廃止されてしまい、私の計画は流れた。

トンネル工事についての本を一時期ひたすら読み続けていた。青函トンネル工事は長期間に及び、関わった人の数は膨大で、そのエピソードは多彩だ。

除反応を思うとき、というか今まさにたいへんなんだけど、私の脳裏にトンネル工事の出水事故の場面が現れた。もちろん私は工事に携わってはいないからあくまでも文章から得た情報だ。綿密な地質調査、コンピュータによる出水予測、巨大な排水ポンプ室。それでも事故は起こる。危機対応マニュアル。情報管理。どうする、TBM。いったん止めよう。スイッチOFF。でも溢れ出る地下水は人知をもってして止められぬ勢いで多くの命を脅かす。

除反応はトンネル工事の出水事故とシンクロした。勇気はあるか。体力はどうだ。予定は未定。臨機応変だ。そしてDIDはトンネルではなく、人間だ。50年も生きたからもう生きるのをやめたいと思うとき、私の中で誰かがTBMのスイッチを押す。GOだ。

解離はあきらめない。

田豊著「青函トンネルから英仏海峡トンネルへ」中公新書。この本はおすすめです。

ほらね、一般論とはほど遠い。でも私には真実だから、やっぱり書いてみて良かったと今は感じてる。

疲れた。もう何もかもやめたい。本当。

でもTBMかっこいい。

TBMを見たい方はこの本のp135に挿し絵あります。

ではでは、このへんで。