シベリア鉄道9400キロ

鉄道が好きだ。見るのも乗るのも、電車に関する本や写真集を読んだり眺めたりするのも大好きだ。「シベリア鉄道9400キロ」は宮脇俊三という人の本で、私は電車関連の中ではこれがお気に入りである。本が書かれた当時のロシアは今とは大きく異なっているのだが、何より車窓に対峙する筆者の表情に惹かれる。大陸を東西に横切る線路の上をひたすら走り続ける四角い箱の中に、自ら乗り込み、一週間もの長い時間をいわば監禁状態で過ごすのだ。息苦しさと疲労。車窓の流れがせめてもの救いだ。

ほかのDIDさんはどうかわからない。電車に長時間乗っていると、私の脳は普段とは違う状態に変化する。このことに気付いたのは精神科を受診し始めて間もなくの頃だった。

普段の暮し、人に会ったり、買い物をしたり、家族と談笑したり、といった活動中、交代人格が突然現れて悪さをするということはほとんどない。特別の場合、例えば私は今でも自作自演のライブを家族やごく親しい人の前で行ったりするのだが、そういう場面でははっきりとわかる人格の変化をするようだ。しかしながらブラックアウトすることはない。意識の連続の中でゆるやかに人格交代がある。

昨日久しぶりに電車に乗った。例えば長時間電車に乗り続けるとどうなるのか。私の脳はいわばニュートラルになる。時にミーティングが行われれば騒がしいのだが、それが現在のようなマリ失踪事件という由々しき事態であるためか、メンバーはみな沈痛な面持ちである。車窓を流れる景色にそれぞれが思いを馳せる。私はいろいろなことを考えた。

心が癒されるとはどういうことなのだろう?

傷が治るとは?回復とは?

なんとなく気づいてはいた。

電車が終着駅に着くように、人もまた自分の居場所に帰るのだ。傷が治る、つまりそれは壊れた何かが元通りになること。回復すること。回復した心は健全な人生を普通に歩み始める。ただそんな平凡なことなのだ。

社会性を身につけた9歳児は、ひとりで居ることをもはや好まず、恐る恐る人の輪に入って行くかもしれない。そこでは威嚇したり、虚勢をはったりする必要はない。家族や友人。親切で温かで、なんなら適度に放っておいてくれたりする、そんな居心地の良い空間だ。

車窓は流れる。私たちは戸惑う。どうかこのまま電車が止まらずに走り続けてはくれないものか。

あうんの呼吸の脳内サークル活動の崩壊はもう止められないのかもしれない。

回復すること。

これから先うまくいかないことがあってもじっくりやり過ごそう。

DIDの癒しは3D構造だ。

お別れを言う事も無くマリは消えた。

だってもともとマリなど居ない。マリは私が作ったものだったから。

悲しみ、修復、崩壊、撤退。

どうやらたくさんの作業を同時にするみたいだな。

シートはクロスシートで、距離は長い方が楽しい。電車に乗るときはいつもそのことを優先している。DIDにはそれが治療とはいえ面食らうことがあるのだろう。ただし原則は変わらない。とにかく前へ進むこと。立ち止まらないことだ。

最近は脳内BGMがない。

うつなんだな、きっと。

時刻表と地図でも見ましょうね。