海キノコ

これも一種の現実逃避なのかもしれないけれど、たいていは何か新しい面白いことはないか、とかそういうことばかり考えている。世の中にはまだまだたくさんの、あっと驚くようなワクワクドキドキが存在しているからね。スコットランドには前髪の長い体中もじゃもじゃの毛に覆われた牛がいる。何年か前にその牛が千葉県の牧場にいることを知り、会いに行った。会うだけ。厳密に言えば、見るだけ。話したり、ハグしたり、一緒に食事をしたりなんてことは出来ない。だって人と牛だもんね。アイドルの追っかけみたいなものだ。永遠の片思いだけど、それがなんか丁度良い。願いが遂げられることをいつもどこかで恐れている。牛だから安心。牛がいい。それがいい。

私が自分が人と少し違っているんじゃないかということに気づいたのは少しというかだいぶ遅くて、15歳のある日のことだった。解離は私に現実を見えなくし、私の毎日は素晴らしくマイペースだった。今思い出すとぞっとすることは山盛りだった。どうやって乗り越えていたのかわからない。15歳のある日、季節は思い出せない。午前中だった。私は数学の授業をひとり抜け、父に連れられて市役所へ行く。そして10指の指紋を押捺した。なぜ指紋を取られるのか?説明は一切ない。市役所のお姉さんがくれたクリームを塗ると指の黒いインクは嘘のように消えた。市役所から帰ると数学の授業が丁度終わったところだった。

私は気味が悪いほど従順だった。父は?先生は?なぜ私に何も語らない?今になって疑問がわいてくる。指紋の意味は大人になってからちゃんと理解したけど、この日は特別だった。指紋くらいなに、って言われそうですね。私もそう思うのだ。現にもっとたいへんなこと、暴力的なことも私の生い立ちにはたくさんあった。だから私の脳は少し変だ。なんていうかな、指紋を押す私を見ていた市役所の人、父、教員、腫れ物にさわるかのようなクラスの面々。私はこの日やんわりと圧倒的に傷ついたのだ。人生というと少し大げさだけど、私はこの先の人生の長い片思いの始まりを予感した。なんていうかな、なんとなく不吉で不安な感じ。世界中に片思いし始めたというような、壮大な重荷だ。被害者意識、無力感という強力なスキーマの形成だ。

不信とか絶望とかそういう言葉とは少し違う。対象が、敵?なのかな、自分が立ち向かう何かにあっさりと負けた感じがした。そして味方は居なかった。まるでカプセルの中の100円のガチャ。小さな水槽の中で泳ぐメダカ。

解離は手も足も出ない状況でも誰にも助けを求めない。沈黙だ。耐えたのだ。それは間違いだった。いつものことだ。もっと大騒ぎして良かったのだ。誰か教えてよって、泣けばよかったんだ。こんなことしたくないって、わめけばよかった。だけど世界中には私の抱えたレベルの不条理なんてゴロゴロしてる。権力は必ず腐敗する。それをusaoは調べたよね。もういい。誰にも何にも復讐するつもりは今はない。

どれだけたくさんの本を読んでも、あちこち旅をしていろいろな毛色の牛と知りあっても、今さら過去に戻ることは出来ないんだから、何もかも手遅れじゃないか。今になって涙を流しても何も変わらない。クラスの奴らじろじろ見てた。悔しかったけど、私は何をすればいいかわからなかった。悔しいとかそういうのじゃないな。何も感じなかった。だからそれが解離なんだってば!叫ぶ声。誰?泣いてる。もう終わり?終わりって何が終わり?死んじゃだめだ。交代人格はカプセルのガチャに過ぎない。ちっぽけで非力だ。それでいい。ガチャガチャ生きていけばいいさ。弱虫でいいさ。ほんとのことだもん。

海キノコを見たのは沖縄の水族館です。直径が1メートルくらいでゆっくりとうねっていた。海キノコってネーミング安易だ。あまりに遅過ぎる活動に目が離せなかった。寛大で包容力に満ちている。ふわふわでプニプニの海キノコ。いーなー。サンゴの一種らしい。海底の世界は無重力なので何もかもがスロー。usaoが海キノコを調べてる。調べてどうすんだ。会いに行くのか?海底に?いいよ。行きましょう。

ということで、明日から主人と一泊二日の旅行へ行くことに決定。高速を2時間くらい走ったところにある水族館へ行く。自由だな。

吐き出してみたらカッコ悪い。

でもカッコ悪いってなんかしっくりくる。

ハッタリばかりで疲れる人生はもう終わりたい。

海キノコみたいに雄大に、ゆっくりと流れにまかせて、恐ろしくスローだけど、でも生きてるんですよ。

ではでは、今日はこのへんで!