ウサギのバイク3

デヴィッドテイラー「こちら、動物の119番」集英社を買ったのは高校2年の時だから、16歳か17歳の時だ。この本は私の2冊目の本だ。新刊で買ったという意味である。ちなみに私は小学4年で図書係になった。その頃にはもう解離していたに違いない。私はみごとに変容し、もはや暴れん坊でも緘黙症でもなかった。

相変わらず算数や国語には手こずっていたが、私は読書に異常な関心を示した。それが読書と言えるのかはたして疑問だが1番好きだった本は朝日年鑑であった。学校の図書室には10冊くらいの朝日年鑑があった。小学生の私は朝日年鑑を隅から隅まで念入りに読んだものだ。そうしたデータや統計を読むのは今でも嫌いではない。そこには人間の感情の記述はなく、ただ事実のみが記載されている。

私は朝鮮戦争ベトナム戦争などに関心があった。当時従兄弟が徴兵されたからだ。当時の在日は徴兵を免れたはずだ。だから従兄弟は自ら志願して兵役についたのかもしれない。

デヴィッドテイラーに戻ろう。私がウサギを繁殖させていたのは36歳の時だが、動物への関心は子どもの頃から持っていたようだ。ただし犬と猫についてはトラウマが幾つかある。最初のやつは幼児のころで土建屋をしていた父が拾ってきたJという名前の犬だ。

仔犬だったJは大きくなるとドーベルマンのように凶暴になってしまい、ある日幼児の私は襲われて大事件となった。噛まれたとか、押し倒されたとか、その時の記憶は一切ない。脳裏に浮かぶのは母の泣く姿だが、それは、娘の私への愛情の涙ではなく、子どもを襲ったJが処分されることになったことへの、愛犬との別れの涙だった。

母は恐ろしい形相で私を呪う。お前がJに近づいたからこんなことになった、お前のせいだ。母は泣いていた。母は娘より犬を愛していたのだ。

Jを引き取った初老の男性が私に小さな赤い古自転車をくれた。私は無邪気に喜べなかった。母がその自転車を嫌い、触れることさえしなかったからだ。今も町で赤い自転車を見るとどうもなんだか心が塞ぐ。どうしても記憶は芋づる式になってしまうのだが、母とは2000年の私の発病時に絶縁している。

絶縁のきっかけは私の母への暴力だった。その時の主治医は私の突発性の攻撃行動を懸念した。当時さまざまな事情が重なって、離婚して一人暮らしの母を、私は引き取ったのだ。刑事事件を起こす前に別居をして下さい、という主治医の勧めに私と主人は迅速に従った。

母は孤独な人だった。理解されにくく扱いにくい人だった。私は母が哀れだったが、かつて母の愛する犬が私を襲ったように、今度は私が母を襲うかもしれないという危機だったのだから仕方のないことだ。

ひとたび発病した私に対して母は冷淡だった。母は別居をすんなり受け入れた。母は何よりも精神障害者を恐れていたからだ。母の親族にも父の親族にも精神障害者がおり、母はその悲惨さを見ているからだった。

何かの折に、赤ん坊の私を抱いたことがない、と母が私に打ち明けたことがあった。1度も?私は驚いて聞き返した。うん、1度も。母が言った。可愛くなかったから、母の言葉は続く。ここからは空想だが母が仔犬を嬉しそうに抱いている様子が目に浮かぶのだ。私に復讐するつもり?これは実際の言葉だ。この母の言葉が今も頭から離れない。

デヴィッドテイラーのことを書こうと思ったのだ。さて、私は中学高校とまるで人が変わったように成績が良かった。文字通り人格交代していたからだ。私は家事に加えて仕事の手伝い、そして学校の勉強と本当にフルパワーな日々を送っていた。

バッハの平均律を弾けるようになった私は父を大いに喜ばせた。(父は数年前自分用のピアノをローンで購入していた)。父の勧めで私はヤマハのピアノ教室へ通ったりした。その時のピアノ教室の先生は若い男性だった。音楽科の高校を受験しては?とすすめられたが将来のことを考えると貧乏な家庭には無理な進路であった。作曲、聴音、初見とか言ったかな?確かそんな教室へ通った。ソルフェージュだ。そうだ。月謝高かったな。

ヤマハは辞めはしたものの、これは、私たちには将来がある、という発想を与える大事件だった。私たち(脳内人格たち、です)はわくわくしながら将来をあれこれ考えていた、そしてデヴィッドテイラーの本を買ったのだ。でもなぜ獣医に憧れたのかな?そこがいまいちわかんないなー。

犬怖いはずだよね!

いや、実は犬は今も怖くはないのです。

どちらかといえば猫派でなく、犬派。

デヴィッドテイラーの本は大人になってからアマゾンでほぼコンプリート。

今日はちょっと怖いこと書いちゃったかな。

どうやら17歳あたりの記憶がまだまだ手付かずかもしれないなー。悪意や憎しみ、そんな単純な人の心の動きをようやくわかりかけたのが17歳の頃だとすればだいぶ遅過ぎる。

動物には本能しかない。トラウマの真実はやはり家族にあったのだ。

まとまらない感じではあるが、

今日はこのへんで。