fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

アメリカングラフティ

映画が好きだ。アメリカングラフティを観たのは17歳の頃だ。先週久々に観た。途中で気分が悪くなり中断した。驚いた。主人公のリチャードドレイファスが乗っている車がシトロエン2cvだったのだ。will vi に乗った時のハイな感じはこれだったのだ。私の脳は今度は何を目指しているのだろう。シトロエン2cvは一体どこへ向かっているのだろう。解離は用意周到だ。 今日は診察日だった。 ずっと考えている。 栗コーダーがクィーンのボヘミアンラプソディを演奏している。 綺麗なメロディだ。 フレディマーキュリーがエイズで亡くなった頃に私はちょうど三女を出産した。当時私はフレディマーキュリーのことは聞くのも考えるのも嫌だった。 奔放な生き方。エイズという病気。偏見。つまらない人間の私。 でも今日は違う。彼の人生の生きにくさを思う。ボヘミアンラプソディの歌詞は不可解だ。それでもリコーダーが唄うからだ。とにかく辛いんだ、助けて、と唄うからだ。 17歳のある日、私は父が居間でくずおれて大泣きしているのを見ていた。父の親友のNが亡くなったのだ。遠く何百キロも離れた街からの電話だった。交通事故だった。 大泣きする父とは正反対に、私はNの死を聞かされ、重すぎる荷を降ろした時のようなやすらぎを覚えた。私はNから性的虐待を受けたからだ。Nがもうこの世にいない。もう顔を合わせることもなくなったという事実に私は深く安堵した。 Nは虐待者でありながら同時に私の養育者でもあった。育児放棄の両親に成り代わり、時々やって来て滞在するNはさまざまな面白い話をしてくれ、また、幼児の私の他愛ない話を辛抱強く聞いてくれた。 Nの悪行は許されることはない。そしてそれを容認していた両親も同罪だ。彼らは必ずとがめられる。許されることはない。彼らに良心があればのことだが。一体私は何を言ってるんだろう?母もNももう死んでしまったというのに。 Nと私にはもうひとつのつながりがあった。Nは梅毒を発症して、脳神経をやられ、そのために事故にあったのだ。私は感染はしてはいなかった。でも脳をやられたという点で私とNは同一だ。 Nが梅毒を発症したことを知った時、私はわずか12歳だった。それでも病気についての理解はあった。そのことについて両親がしきりに噂しているのも何度も聞いていた。私は今もその時の動揺を忘れない。自分が忌まわしい病いに感染しているかもしれないという、およそ受け入れることの出来ない恐怖。私は解離したのだろうか? そして17歳のNの死。私の中で何かが目覚めた。私は脳のバランスを失った。私は盲腸で入院した。精神病を発病してのち、内科の検査の時に私の腹部の傷跡を見た医師が「これは手術痕ではないですね」と言った。だったらなんなんだ?私は割腹自殺をしたのかもしれない。嘘だろ。その時の記憶は全く無い。誰か教えて欲しい。盲腸だったと証言してくれないものかと今も願っている。 17歳の私は考えた。それは覚えている。生きている私はやがて死ぬんだろうな。一体どんな死に方で?私もまた脳をやられて?皆に忌み嫌われて?Nの死は私の将来を取り去る大事件だった。Nへの憎しみと同時に沸き起こる自分が汚れているという強い嫌悪感。絶望を抱く余裕はなかった。 Nを殺す夢を何度もみたこと。 くずおれて大泣きする父の後ろ姿だけが脳内で幾度も再生される。当時すでに廃人のようになっていたNだが、父にとってはかけがいのない存在だったのだろう。 私は感染してはいなかった。 それは幾年か後に判明する。 あれから何十年もたった。アメリカングラフティのリチャードドレイファスの苦悩は幸福な思春期を描いていた。17歳の私は惨めで孤独で絶望していた。 今日、私は栗コーダーボヘミアンラプソディを聴きながら泣いた。体の震えが止まらないのだ。フレディマーキュリーの顔をネットで見る。どうしてなんだ。Nの顔を思い出せない。 何度も何度も同じ事を繰り返し考える。悪行は許されることはない。私はNや両親を強く憎んでいる。それなのに私はフレディマーキュリーを哀れに思っていた。もちろんフレディマーキュリーは虐待とは無関係だ。ボヘミアンラプソディが頭から離れない。人を殺して来た、生まれて来ない方が良かったと唄う彼の眼差しが私を捉えて離さないのだ。……私もそんな気持ちだよ。……そうだよ、それを絶望というんだよ。usaoが言った。そうか。これか。これなのか。今頃?解離は少し馬鹿みたいだ。 これ読んだら、主人はどう思うかな? 大丈夫だよ感染してないよ。私は自殺はしないよ死なないよ。次の診察日までとにかく生きるつもりなのだ。今はそれだけ。頑張るってこういうこと。現実を受け入れる。ありふれた事だ。世の中は不条理に満ちている。母もNも父もまたそんな不条理の被害者なのかもしれない。私の中の心の誰かが私たちを慰め、いたわりの眼差しで見つめている。今はまだ優しくはなれないけれど、励ましやいたわりに応えたいと思うのだ。私は立派な人間ではないが愚かではない。誠実さや真実さを失いたくはない。 アメリカングラフティの続きは今のところまだ見られそうにない。そしてリチャードドレイファスが何を悩んでいたのかは、例によって私は理解が出来てはいない。でも彼は勇気を出した。大学へと旅立った。17歳の私はこの映画を観て何かを決意した。アメリカングラフティとシトロエン2cvは私のエンパワメントとなったに違いない。私も一歩踏み出そうと思う。私は自由だ。私はサバイバーだ。離陸する時が来たんだよね、きっと。 飛行機は苦手だが。