この胸のときめきを

今住んでいる集合住宅の外壁塗装工事のための足場が昨日から組まれ始めた。朝から夕方まで、昼休憩を挟んで、結構な騒音が鳴り響く。猫たち(2匹飼っている)がおろおろして部屋の中を歩き回る。なにやら大声で職人衆がさけんでいる。クレーン車も来た。重機が窓のすぐ下でエンジンを吹かしている。ゴー!カンカンカンカン。可哀想に猫たちは銃撃戦が始まったくらいの取り乱し様だ。

足場作業は今日も続く。本当にお疲れさんだ。猫たちはもう騒音に慣れていた。動物ってすごいな。しかし私は1日で限界が来た。音が無理。長女からプールに行かない?とメールが来た。行く行く。西松屋で4歳の孫のための浮き輪を買って、その足でプールに向かった。4歳は初めてのプールだ。私もなんだかわくわくしていた。 今年の1月の沖縄旅行は長女の一家と一緒だった。その時に4歳も海で遊んでいるから、水の中は全く初めてではない。プールにいくよと説明したところ砂場セットを持っていくと言ったらしい。4歳はプールを砂浜だと考えたのだね。ふんふん。 沖縄の私の友人(3女の婿のお母さん)はスキューバのライセンスを持っている。はじめちょっとしたノリで私も潜ってみよかなって言っただけだったのだけれど、じっくり考えてやっぱ潜ろうと決めて友人にお願いした。スノーケリングをしようということになり、あとは天気だね、といってたら滞在2日目に1月には珍しいほどの晴天がやって来た。長女の一家は砂浜で遊び、私と友人の2人はすぐ近くのダイビングスポットへと向かった。路駐した車のトランクの影でハイこれ、とゴツい手触りのウェットスーツを手渡され、ダイバー達の往来する路上でとにかくその硬いゴムみたいなやつに足や腕を通した。ライフジャケットも着る。足ヒレとスノーケルを持って岩場を降りると、久しぶりの晴天で海はダイバー達や観光客でごった返していた。私は遅れないように友人の後に付いて水の中をざぶざぶ進む。水が苦手だとか泳げないとかそういうことは一切言ってないから、友人はなんかアメリカ人みたいな手振りでカッコ良く私に合図をするとさっさと泳ぎ始めてしまった。 水面に顔をつけた瞬間を覚えている。頭の中が真っ白とはこのことと思った。でも覚えているってことは記憶は飛んでないってことなのだ。そしてパニックを起こすより速く私は眼を見張った。海は青かった。そして深い広い美しい。小さい黄色い魚が2匹くるくると鬼ごっこのようなことをしていた。魚って遊ぶんだ〜。あ、なんだろう?私は深い海の底にうごめくものを見た。そこに居たのは黒いウェットスーツのダイバーが2人。不意に笑いが込み上げてきた。 1時間弱を海中で過ごした。友人と2人泳ぐのをやめてただプカーと海に浮かぶ。あーなんて気持ちいいんだろう。 海から上がり興奮してあれこれ口走る私を友人は鼻で笑うかのように、夏の海もっと凄いよ、とまたアメリカ人の仕草をする。ねえねえなんか私ガニ股で歩いてる〜、おーワイルドだね〜、と馬鹿な掛け合いをしながら歩いて移動、長女の一家と合流し、私たちはまた沖合へと歩き出した時、4歳の孫が叫んだ。おばあー、ずるいー、抱っこしてえー!無理無理。おばあは今自分のお世話で精一杯なのだよ。 1度限りのスノーケリングではあったが沖縄の海は私の世界観を変えるほどの衝撃となったかもしれない。 「この胸のときめきを」はダスティスプリングフィールドという人の歌で、私の大好きな一曲だ。メロディもコード進行もドラマチック。何しろ回避性愛着障害なものだから(認めてます)、基本、ドラマチックは苦手であるが、やってみるとこれがなかなか癖になる感じだ。 プールの屋根をくねくねしているウォータースライダーを指さして長女がママあれ、やってくれば?と言った。顔を水につけられない4歳はそれを聞いて泣きそうな顔で私を見た。よし、やってやるか。この胸のときめきを。4歳が見ていた。