アカシアの雨がやむとき 2

CNBLUE「run」を聴きながら〜。CNBLUEには少しだが下積みがあるらしい。東京で路上ライブをやっていた時1番年上のメインボーカルの男の子は20歳だった。しかしながらそもそもがスカウトされた男の子たちで作られたイケメンバンドなのだから生粋の苦労人かどうかはわからない。生粋の苦労人かどうかは大切なのことなのか?苦労かどうかは主観の問題だ。

小学4年の時、黒いとっくりセーターで「函館の女」を歌う北島三郎をテレビで見た時、なんて素敵な人だろうと私は一目惚れをした。だから私の初恋はこの時だ。北島三郎はデビューした時すでに妻子持ちだったが独身と偽っていたらしい。うーん、間違いなく苦労人だね。紆余曲折とか波乱万丈とかいう。 原口統三のことを「詩の犠牲者」と書いた評論家がいた。犠牲者という言葉には強烈な響きがある。20歳の私はこの言葉に強い違和感を感じた。原口統三に自分を投影していた。自分こそが彼を理解しているのだと自惚れていた。したり顔をした評論家の眼差しに、私は薄っぺらいプライドを傷つけられた。 原口統三は苦労人ではないのかもしれない。演歌歌手や路上ライブにある、いわゆる日常の生活の苦労や直接の将来の不安は彼には無かったかもしれない。 そういう意味でDIDもまた苦労人ではないと思う。若く発症する人はわからない。少なくとも私は35歳くらいまで自分の人生を苦労だと考えたことはなかった。 しかしそんな私でも苦労だと考えた出来事がある。当たり前過ぎるが妊娠出産という経験だ。 DIDは依存症になりにくいという文献を読んだことがある。私も20歳で妊娠した時煙草とアルコールを辞めるのはそんなに大変ではなかった。DIDはスキルを駆使して出来事に対処する。DIDが唯一依存するのは解離だけだろう。 出産は苦労だった。 そもそもDIDは痛みに弱い。解離を重ねる感覚に耐性はない。私は分娩中2度失神している。過酷なスポーツトレーニングや苦渋の微積分計算、悪意のある対人関係の悩みと葛藤。私の中には鍛え上げられた人格グループがあったようだがお産は別だった。ごく普通の自然分娩でも10時間近い長丁場。いったいあの陣痛はどこからくるものなのか。そして逃げ出したくても逃げ道はない。失神して目覚める。私は自分の体に帰る。 私の場合、幸いなことにお腹の子は健康で元気に生まれてくれた。産婦人科の主治医はよく頑張ったねと褒めてくれた。果たして私が頑張ったのだろうか?不意に陣痛がやって来て、子が生まれ出て、お産は終了したが、それらすべては私には関与することの出来ない出産のメカニズムの成せる技だ。不甲斐ない私は気を失いつつやり過ごしただけだった。 私たち、人格すべては味わった事のない感覚でいっぱいだった。これはどうやら小手先では済まぬ何か、机上のやりとりでない実体だ。出産という苦労には私という人間は確かに生きているのだという実感が伴っていたのだ。 母性本能という。本能はどんな人生にも公平だった。私が生まれた子を抱いている。私は温かい気持ちだった。それは初めて知る家族の温かさだ。肉親の情愛なのだ。 原口統三が死を選んだのは実は確かに生きたいという、そうした実感を求める本能だった。では妻子を養う、アーティストとして名を上げる、それらも本能なのか?原口統三世紀末の詩にではなく、もう少し俗なものに惹かれていたならあんな死に方はしなかったのかもしれない。私は子育てに取り組む日々を経て、犠牲者という言葉に鈍感になったのかもしれない。犠牲者でない人間など1人もいないと考えるようになったのかもしれない。 北島三郎やCNBLUEが俗でどうかということではない。大切なのはイメージではない。生きててなんぼの人生なのだ。生活にまみれ、おばさんへとまっすぐにつき進んだ私はそれがどんなにカッコ良くても偽物には惹かれない。 苦労人には健全な人生が伴うのだろう。それならば苦労を買ってでもしたいものだ。DIDだったからスタートが遅くなった。おばさんスタートだけどな。DIDはおばさんになると治る!というのを何処かの文献で読んだことがある。DIDは治ると言うより、生き直しに近いのかもしれない。長い思春期の終わり。おばさんとはそういう意味か。 アカシアの雨にうたれて死んでしまいたい、というようなセンチメンタルはあの時、出産とともに消えたんだね。