fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

カーマは気まぐれ

「DIDは統合失調症に含まれる」と埼玉にいた時のクリニックのドクターは説明していた。そのドクター曰く、DIDとは独立した病気のひとつではない。根底に統合失調症という病気があって、その中の一部分なのだというのだ。ドクターは白い紙に青いボールペンで円を二つ書いた。右の円はDID。左の円は統合失調症。二つの円の重なる部分に斜線をひいて、ここね、あなたはここ、と言った。

統合失調症は1度診断されると覆されるということがむつかしいようだ。それが大学病院というビッグネームであれば尚更だ。おそらくトーシツはDIDより鑑別を要する。だから先に診断しよう。そういうことか。私は思った。このドクター、精神科医なのに精神病が怖いのかな。いやいや、精神病は怖いよ。怖くないというドクターの方が傲慢だろう。……だけどやっぱその時はドクターが「ヤバイ、この患者さん、トーシツでDIDだぞ〜。参ったな」と言っているように、聞こえた。

え、これ、被害妄想?

あー。

今年の1月友人が自殺した。統合失調症だった。私にとっては先輩格のとっても尊敬していた人だったから残念でならない。自殺しないように頑張って居たのに彼女は負けてしまった。トーシツは死に易い。彼女が自殺した日、私は出来ればトーシツでありたいと思った。トーシツであれば満足。トーシツであれば彼女との繋がりは切れない。それに地球上から1人のトーシツ患者が減ったことのバランスが取れるようではないか。こんなことを思うこと自体、私が本当はトーシツを治りにくい、近寄り難い病いだと区別している証拠かもしれない。そしてこんな感覚は欺瞞だ。

世の中変わった。精神科はずいぶんポピュラーなものになり、メンタルヘルスなどと呼ばれ、間口を広くした。だとしても私にはあんまり関係はない。どれだけ患者が増えたとしてもおそらく何も変わりはしない。精神科医だって弱い人間なのだ。DIDは成りたがるのがいるというがトーシツに成りたがるのはいるのだろうか。どんな病気もレッテルを貼られるのは怖い。自分でそう決めることが出来るなら少しは気持ちが楽だろう。

性同一性障害という病気がある。病気というと怒られそうだ。私が19歳の時、T男くんという男の子がいた。T男くんは性同一性障害だったが私は気づくことが出来なかった。T男くんと私は職場の同僚だった。T男くんは私の一個下だった。彼はいつもキッチンに居て、私はいつもカウンターに居た。店が終わると掃除をするが、T男くんは手際よくキッチンをピカピカにすると、フロアーの掃除を進んでやった。そしてT男くんが公衆電話から有線にリクエストするのがカルチャークラブ「カーマは気まぐれ」だった。力持ちのT男くんは椅子をヒョイと持ち上げて軽々掃除機をかける。T男くんは白い歯を見せて笑った。

私は1度だけT男くんとディスコへ行ったことがある。T男くんは角刈りで、白シャツ。黒いパンツ。T男くんは踊りも上手い。点滅する赤や青のライトを浴びて踊るT男くんを私は椅子に腰掛けて眺めていた。

T男くんがお店をやめ、私も大学へ復学してお店を離れた。ある日駅の地下街のブティックで働くT男くんと再会した。懐かしい笑顔。白い歯。えー、ここで働いてたの?私は駆け寄る。しかしよく見るとT男くんは何か違った。ヘアースタイルは角刈りのままだが、お洋服は女性の服装だった。そしてその服装はおばさんの着るような紫のラメ入りのニットの上下、首や指にはジャラジャラとアクセサリーを光らせている。え?T男くん、何があった?T男くんのはにかんだ笑顔が可愛らしい。私は顔をしかめた。

当時は今ほど性同一性障害がポピュラーではなかったからT男くんはきっと苦労しただろう。ひょっとしたら良き理解者を得て、あの様にカミングアウト出来たのかもしれない。あの日のT男くんの笑顔を今も忘れない。私は狭量なのか。私にはあの笑顔が辛かった。私の知っているT男くんはどこにもいなかった。私はいったいT男くんの何を知っていたというのかな。

それから私はその駅を通るたびT男くんのお店を覗いた。数ヶ月後にはT男くんはお店を辞めた。突然消えてしまったのだ。しかし厳密には女装するT男くんを私が受け入れられなかったあの日、私の中のT男くんは消えてしまっていた。

T男くんは今はきっとあの頃よりものびのびしているかもしれない。毎日どんな思いで暮らしているのかな。私は察しが悪く鈍感で人間関係の絆を結ぶのが下手である。私はT男くんを拒絶したのかな。それが伝わったのか。

マイノリティとして生きるのは易しくはない。そういうことがその頃の私にはよくわかっていなかった。

性同一性障害は病気ではなく個性なのだ、と説明されたら私はなんというだろうか。私にはT男くんはT男くんという人間であって、病気はその次である。オカマ、おねえ、女装趣味……。T男くんがどの辺りの個性なのかは今は知ることは出来ない。私は狭かった。私はつまらない人間だ。

たとえば私がトーシツと診断を受けたら、私の周囲の人々は何かが違うと思うのだろうか。病気が人間を狭めることは正しいことなのだろうか。いやいや性同一性障害はトーシツとは違う、という人は本当はもっと狭い? 人が人に優しくならない限り、病気の話はし辛いままだ。死んでしまった友人に優しくしたところで意味はない。

成長してゆきたい。

色んな意味で広く成りたい。