knockin' on your door

暑い中朝一でやって来た三女と2人、すたすた歩いてスタバに行った。木陰は風が涼しい。三女はフラペチーノにチョコソースを追加だ。フラペチーノが余りにも冷たくて頭にキーンと来る。私は滅多にスタバに行かない。高い。ラーメン食べれる。

私がDIDの発作を起こして大変だった時、三女はまだ小学生だった。だから三女は誰よりも苦労している。幼くして修羅場を見て来た。だから去年三女が恋愛をして結婚をした時私は泣くほど嬉しかった。女に生まれたからには燃えるような恋をして欲しいとずっと願っていた。恋焦がれた男性とでなければ結婚など上手く行くはずはないからだ。

三女はスタバで夫へのラブレターを書いている。いいなあ。ラブレターなんて私書いたことない。そもそも私はまともに恋愛をしたことがないかもしれない。何もかもDIDのせいにするのはどうかと思うが、とにかく合理的打算的に生きてきた。泣き言は言わない、そんな鉄のような女である。主人と出会って妊娠してしまった時も、まだ大学生だった主人の将来がこの先どうなってしまうのかともやもや悩んだ記憶は無い。女としての愛らしさのかけらも無い。何かにつけて人生乗るか反るかだとそういう感じでひたすら進んで来た。

三女は数多く修羅場を見て来たせいで、家族の中で私の病気に一定以上の理解を持っている。しかし娘をカウンセラー代わりにするのは最もいけないことだ。娘というのは庇護されるべき存在だ。私はトーシツでDIDで日々幻に包まれてはいても親としての威厳を保ちたいと考える。腐っても親である。

「knockin' on your door」はL↔︎Rのヒット曲だ。埼玉にいた頃、三女と買い物へ行った時、電車の中でよくこの曲を聴いた。埼玉時代の思い出もまた私には不調の記録だ。不安定な私は通りかかった肉屋の店先に繋がれていた子猫に夢中になり、店主と交渉し、子猫を貰ってしまった。その猫は今でも飼っている。その日は子猫をその場で貰い、お買い物カートに入れて、三女と2人埼京線に乗り、わあわあ言いながら帰った。

今日は昼ごはんにカレー屋さんに行こう。ママのおごりで。楽しい時間を増やしたからといって三女の抱えたトラウマが相殺されることはない。それは事実だ。だけど出来る限りのことをしたいといつも思っている。人は皆蒔いたものをいつか刈り取ることになる。だからこそ今良いものを蒔けばそれなりに結果を出せると信じている。今日もまたDIDは超ポジティブだ。

ラブレターにはエクスクラメーションマーク付けてね!その方が情熱が伝わるから!