ぼくらが旅に出る理由

ジョギング出来なくなったので主人と2人毎朝ラジオ体操をすることにした。第一と第二。第二の方にちょっとわからないところがあるけれど久々にやってみてso good。しかしどうして覚えてるんだろうね!と主人と2人はしゃぐ。一生懸命やると結構きつい。

「ぼくらが旅に出る理由」は小沢健二の曲だ。

TSUTAYAで「男はつらいよ」を5本借りてきた。まずは第48作の「寅次郎 紅の花」を観た。

田中邦衛うちなーぐち(沖縄言葉)がなんか笑えるな。奄美大島の船乗りの役なんだけどジャンバーとか帽子とか、どうみても「北の国から」のまんまだよね。

来年の春北海道へ行く計画だ。苫小牧まで太平洋フェリーに乗り、そこからは特急だ。その前に次女と一緒に沖縄へ行くことになっている。ギリギリ残暑の10月に沖縄の海で遊ぶ予定だ。北海道と沖縄、どちらも楽しみだな。

「紅の花」の田中邦衛を見て親近感が湧いたのはそんな事情からだ。沖縄の友人は、北海道と沖縄はなんか似てるよ、と言う。そうだな、どちらも田中邦衛がよく似合う。田中邦衛っていいなあ。「北の国から」での偏屈な一面にも惹かれるが、何より安定感がある。俳優だから本当のところはわからないけどね。

ちょっとくたびれたおじさんを見ると思い出すことがある。結構ショックな出来事だ。

私の父は私の結婚後離婚をした。そしてひとり暮らしを始めたが、短期間ではあったが私は偶然近所に住んでいたことがあった。ある日スーパーで前から歩いて来る父を見かけて近寄った。ところが父は近寄る私に気づかないで私の前を素通りして行ってしまったのだ。

がっかりしている私を主人がいろいろなことを言ってその場で慰めてくれたが、間違いなく父は私とすれ違ったことに全く気づかないまま通り過ぎてしまったのだ。顔を忘れたのか?それとも周りを見ていないだけか?

私は若い頃から旅行が好きだが、それはたぶん旅に出て知らない土地に移動して、普段会わない人たちと過ごす時間を気に入っているからだろう。そこには日常から切り離されたなにか特別な感じがある。日常を越えることがどうしてそんなに必要なのか?旅行中だってそれなりに日常的だ。旅行先で大変身するとか、そういうことはもちろんないし。

その日、私に気づかないで去って行ってしまう父を私は追いかけなかった。まるで行き過ぎる車窓の景色のひとつのように、父は次第に人混みに紛れて消えてしまった。

こんなのはちょっと大げさかもしれない。それとも実の父親に対してそんなにドライでいいの?という気もしないでもない。

だけどその日私は長旅をようやく終えたような、長く乗った電車が終着駅に着いて、ホームに降りた瞬間の移動の終了を告げるあの感覚を感じたのだ。確実に父は私から遠く離れて行った。

渥美清演じる寅次郎に包容力というものは無い。リリー(浅丘ルリ子)は悲しそうだ。最終話となった第48作を撮るにあたり、浅丘ルリ子は監督にどうか寅次郎とリリーを結婚させてと頼んだという。だけどそれは無理。そんなことをしたらこれまでの47の物語が嘘になる。

男はつらいよシリーズを長年観続けて来た。笑える話だが私の父は渥美清に顔が似てる。そして母は浅丘ルリ子似なのだ。私が感情移入をするのはそんな理由だ。単純でバカみたいだな。

2年前母が死にそうだという電話が突然父から掛かってきた。10年以上父とは話していなかったからすごくびっくりだった。父は私を非難して母を許すのがお前にとっても1番だ、と電話口で説教をし続けた。父はちっとも変わらない。自分の言いたい事を主張する。

思えばその時の私は精神病で一杯一杯だった。そして過去にそれなりにけじめをつけようと、あの手この手で頑張っていた。主人や娘に迷惑をかけながらもなんとか平穏に日常を過ごそうともがいていた。

私は電話を切った。もちろん母のことは気の毒だった。それでも2度と父とは話したくない、と体が震えた事を覚えている。

その時幼い頃の悲しい記憶が蘇ったのでもなければ、恐怖に怯えたのでも無い。

あの日私に気づかなかった、すうっと人混みに紛れてしまった。私を忘れた父を私は許せないのだ。

父の関心は私には無い。それを再び確認した。

映画は逃避かもしれない。私は弱い人間だ。これから第25作「寅次郎 ハイビスカスの花」を観よう。沖縄で入院したリリーを寅次郎が世話する物語だ。

私という人間がもう少し強くて、頭の病気がもう少し軽かったなら。病床の母を父と共に見舞うことができたのだろうか。しかしすべては言い訳だ。病気の心ではごく普通に何かを悲しむことも出来ないようだ。悲しむことが必要なのか。そんなことすら曖昧な感じだ。