風になりたい

今日は診察日だった。調子が悪いので主人に車で連れて行ってもらった。それにしても蒸し暑い。高速を1時間も走るとあっという間に山の中だ。

初めてこの病院を見た時は正直ひるんだ。the精神病院。病院脇の国道をトラックがぶんぶん通って行く。私はたいてい診察用の筋書きを持参する。3項目程の見出しをつけた覚え書きだ。調子が悪い時はそれも作れない。

元来弱音を吐くことが嫌いだ。おいおーい、めっちゃ弱音吐いてるやんー、って主治医はこれを読んだら椅子から落ちるだろうな。いやいや、ですからもともとぐだぐだ弱っちいことを言うのは嫌いだということだ。筋書きを持参するのはそれを防止するためなのだが、最終的にいつも診察はかっこ悪い自分をさらすという感じになって行く。

だいたい私は人前で涙を見せるのは最もいけないことだと心に固く決めている。はい。そうだね。主治医は椅子から落ちるね。(出来れば吉本新喜劇的によろしく)

涙というのはいろいろな時に流れるものだな。私の場合はやむを得ない。苦し紛れ男泣きのような感じだ。いた仕方なく、所在なく、なのだ。あー、主治医が椅子から落ちようとして持ちこたえたよ。まあ、そうだね、はいはい、時にはウミネコのようにキイキイと私も泣くことがあるがな。かっこ悪いけどな。

そういえば今朝待合で柱の周りをぐるぐると歩いている男の人がいた。気になって気になってとってもイライラしたけど順番が近づくに連れて私もそわそわ。ちょっと一緒にぐるぐると回りたくもなったね。待合にランニングマシンとバイクマシンがあればいいのに。代わってくれないー、とか、もめるかな?

そして、診察は毎回あらぬ方向へと発展する。あれれれ、あたしゃもう50だよ、いつまでも思春期みたいなこと言ってんじゃあないよ、とか呆れつつも、どうもコントロールが効かないのだ。寂しさだったり、悲しさだったり、悔しさだったり、胸の奥底からマグマのような熱い何かがわっとなって自分では止められない。

大きく鼻をかんで、ティッシュを丸めて、それをごみ箱にバンッと投げ入れて、私はたいてい主治医の右肩の向こうにある窓ガラスの端を見るよな。それから少し反撃だね。まあできる範囲でさ、現実的にね。こう見えても私だって対策をいろいろ考えてはいるんだからね。

ほぼヤケクソ状態の心はネガティブを連発するけど不思議とそれが気分がいいのはそれは正直な言葉だから。出来ることと出来ないこと。要るものといらないもの。目標。約束。

診察を終えて待合に戻ると主人が「東邦負けたぞ」と報告してくれた。昼なに食べる?なんでもいいよ。

「風になりたい」はザブームのヒット曲だ。私の好きな曲は王道だ。人間は風になることは出来ない。風のように雄大に、そして力強く進もうね、ってそんな歌。

人はそれぞれ器ってものがある。私は私らしく。今月も地味に進むよ。

まあそこそこの微風ですわ。