フレンチブルドッグ

玉村豊男「小さな農園主の日記」講談社現代新書を読んだ。農園での暮らし。犬を5匹飼っている。うち3匹はコーギー。いいな。犬との暮らしは楽しいものだ。

2年前までフレンチブルドッグの雌を飼っていた。ブリーダーさんが手放したものを人づてにいただいたので、うちに来た時にはもう名前も付いていたし、座ったり待ったりという飼い主からの指示を受け慣れていてとても飼いやすい犬だった。

毎日夕方に30分くらい散歩した。私はイヤホンで音楽を聴きながら歩いた。グレングールドをよく聴いた。

おとなしい犬だった。猫とも仲良くやっていた。彼女は、彼女というのはフレブルのことだが、一日中家の中で自由にしていた。フレブルには心臓が弱い子が時々いる。彼女も散歩と言っても走り回るということはなかった。私に合わせてぼちぼちと歩く。

彼女は夏が苦手だった。それでも夕方涼しくなるころ私は水を持参して欠かさず散歩に出掛けた。

寒い日は毛糸のチョッキを着せてその上からハーネスを付ける。まず私がコートを着る。彼女がチョッキを着る。私は手袋を付ける。そしてハーネス。ブーツを履く。彼女は支度する間瞬きもせず私を見ている。歩く時も私の前に躍り出るということはなく、言ってみれば私の散歩に付き添うような雰囲気だ。

ある寒い日の夕方のことだ。坂を登る途中、あともう少しでうちに着くという場所で私は意識を失った。気がついた時は救急車の中だった。通りかかった人が救急車を呼んでくれたのだ。

「犬は救急車には乗せられないんですよ」消防の人が私に言った。

後できいたことだが倒れている私にピッタリくっついていたという。私の後を追って救急車に乗ると言ってきかなかったそうである。

私はプスコパンという胃痛の薬をワンシート飲んでいたのだがその直後に記憶が飛んでしまった。そしていつものように犬の散歩に出掛け倒れた。どうしてそんなことをしたのか全くわからなかった。人騒がせなことをしてしまったと私は病院からうちに帰り家族に平謝りした。彼女はそんな時も私の横顔を黙って見ていた。

亡くなる前の二年間は一切散歩はしなかった。獣医からこの夏でしょうと言われてから二年生きた。最期は眠るように亡くなった。

読み返してみると私は少々イヌバカだ。亡くなる年にはトイレも行けなくなりオムツをつけたりしてそれなりに大変だったし、元気な時は元気な時で留守番中にお米の袋を食い破るなんてこともあった。白内障で両目の視力を失ってぶつかりながら歩く姿は可哀想だった。

そういえば目が見えなくなってからも彼女は私をじっと見つめていた。

そんな時私は彼女の白くなった頭を何度も撫でる。私は彼女が大好きだった。だからまだ当分は彼女以外の犬を飼う気にはなれない。