ヨハン・エルンスト

友人がダイビングから帰った。ドラゴンフルーツとシーカーサーポテチとスパムを買って来てくれた。ヘチマは旨くないと言う。友人は何を食べても旨くないと言う。まあ何食べても旨いと言うよりはいいかな。

草が生えるで、とおじさんが言うので今日は早朝畑の様子を見に行ってみた。雨上がりで土が少々重たかったが畑の脇に通路を南北へ三メートルくらい作った。私は剣先スコップが全然使えない。考えてみたらやったことがないのだ。主人は軽々と土を放り上げる。どうやったら出来るのかな。持ち手が伸縮するレーキをviのトランクから取り出す。軽トラだったらどんな農機具でも乗るのにね、と2人で笑った。

犬の散歩に出て来た、畑に隣接するお家のおばちゃんと色々と話す。今年はトウガンが17個も取れたよ。ひえ、トウガンか。やっぱ軽トラだな。まあ、最初の年だからそんなに収穫はないだろうな(ないない)。

午後は図書館。このところバッハを調べている。

クラシックにしてもポップスにしても私はどうやら曲ではなく、最終的には人に落ち着くようだ。どんな心境で過ごしていたのだろう。何を目標に生きたんだろう。お気に入りの曲を聴くとついついそういうことが気にかかる。

またしても児童書を読んでいる。今日はドレミ出版「マンガ音楽家ストーリー1 バッハ」。とうとうマンガです。

マンガを笑ったらいかんよ。この本は素晴らしいんだから。

私はバッハは古い時代の宗教音楽家だ、くらいしか知らなかったからこのマンガ音楽家ストーリーが本当に役立った。何がいいって雰囲気だよね。マンガは雰囲気を伝える。例えば当時の階級社会の息苦しさや、そんな息苦しさをものともしないバッハのエネルギーや、たまには折り合いつけて平和にやって行く処世術とか、文章にすれば相当な背景の説明を要するものをたった1枚のペン画は語るからね。

わからない語句に出会った時は春秋社「バッハキーワード事典」で検索。うんうん。だいぶ私なりの理解が進んで来た。まあ論文を発表するわけではないからそれほど詳しく調べる必要はないのだけどね。

そしてよくあることだがたいてい私が気になるエピソードはほぼ100人以上の人が気になっていて、これまたよくあることだがそれらは専門家によってしっかりと調べがついていることが多く、結論として私の抱く疑問のほとんどは半日もあれば解けていくことが多い。

私の気になったことはたったひとつ。バッハがAマルチェッロのオーボエ協奏曲を編曲したいきさつだ。

そのいきさつはマンガ音楽家ストーリーの中で洞察出来た。そしてバッハ事典で確認をとった。

編曲したのは1708〜17年ワイマール時代と言われているバッハがワイマールに住むザクセンワイマール公に仕えていた時期で、編曲を促したのはワイマール公の甥のヨハン・エルンストだった。エルンストはまだ10代。バッハは20代後半。2人は深い絆で結ばれていた。

バッハは30曲を超える器楽曲を精力的に編曲している。おそらくヨハン・エルンストに強く啓発されてのことだ。マンガ音楽家ストーリーではヨハン・エルンストはキラキラの美少年だ。マンガではこれはこの人は重要人物ですよ、というわかりやすい描写だ。バッハにとってヨハン・エルンストとの出会いは大きいものだった。この時期こそが生涯研究をやめなかったバッハの音楽家人生を形作った要の時代だったのかもしれない。

1715年ヨハン・エルンストと死別した時バッハは30歳、ヨハン・エルンストは19歳という若さであった。

この時代は人々は短命だったとも言える。そしてバッハはそのあと投獄されたり妻と死別したりしながらも音楽活動をやめない。

悲しみが人間を打ちのめすことは確かにある。だとしても人間は這い上がることも出来る。

Aマルチェッロのオーボエ協奏曲に戻ろう。ヨハン・エルンストがロマンチストであることは容易に空想出来る。私が気になったのはヨハン・エルンストがこれをオルガンで聴いてみたいとバッハに提案したことだ。

どんな感じなのかな。このオーボエ協奏曲をオルガンで演奏してるやつをなんとかして聴いてみたい。探しているんだけどなかなか見つからないんだよね。

半日じゃちょっとね。

まあ、ぼちぼち探しましょうか。