東側のベランダの足場が外された。塗装のため、手すりに貼り付けていた簾を撤去しておいたからベランダはすこぶる見晴らしが良い。3歳になるメス猫が一生懸命外を見ている。
朝晩涼しくなったので眠る前にサッシを閉めるとニャーと鳴く。
王子様を待っているんだよ。
そうなのか?
待っているのか。
夏の終わる頃に脳内BGMとして現れる定番に佐野元春「サムデイ」がある。その昔NHKFMのラジオ番組でサウンドストリートというのがあった。高校時代調子を崩し、昼夜逆転だった頃毎晩聴いていた。佐野元春を知った時はもう大学に通っていた。「サムデイ」はもう発売されていた。
レコードを買った記憶は無いから誰かに借りたのかもしれない。佐野元春のLPのジャケットは綺麗で、私はカラーコピーを撮り、縮小して文庫本カバーを作った。青と緑の抽象画で眺めているとわくわくした。
もろもろで夜が忙しいとサウンドストリートはなかなか聴けなかった。水曜日の烏丸せつこ、木金の渋谷陽一。部屋に居ても聴く気になれない日もあった。録音して翌日の朝、メイクしながら聴いた。
夏の終わりのある夜、いつものようにいつもの駅で電車から降りた私は自転車置場から出たところでふと空を見た。その夜の空はいつもの空とはなんだか違って見えた。空気が澄んでいた。
気温が下がっていたのかもしれない。だけど特になんてことはないいつもの夜だった。黙々と自転車をこぎながらひんやりとした夜の空気の中を進む。私は自転車を止め、川のそばに建つ一軒のBARに入る。コツコツという靴底の音がBARの床に響く。暗い店内にはJAZZが流れている。
その秋私は生まれて初めて一人旅をした。
「サムデイ」はイントロが素晴らしい。雑踏。車のクラクション。ピアノ。
旅は鈍行を乗り継ぐ貧乏旅行で、想像していたよりもずっと寂しいものだった。秋の山小屋は寒くてGジャン一枚だった私はガタガタ震えながら眠った。
今夜 川のそばで会おうよ。 しゃがれた声が歌い始めた。さっきから頭の中で鳴り続けていたピアノのイントロは「サムデイ」ではなく「オーロラの夜」だった。「オーロラの夜」は真島昌利、マーシーの曲だ。
あのお店はまだあの川のそばに建っているかな。
ベランダから夕べの街を眺めていたら何処か遠くへ行きたい衝動に駆られた。
旅は寂しい電車の一人旅。