you can't hurry love

大泉洋が観たくて「探偵はBARにいる」を観た。大泉洋はいいな。柴田恭兵にも松田優作にも無い何かを持っている。

「探偵は」自体はイマイチだった。特に暴力シーンの生々しさに閉口した。生まれてこのかたそういう映画が苦手である。殴り合うとか誰かが死ぬとかドキドキハラハラが駄目なのだ。ホラーなんか論外である。

じっくり考えたことは無いがDIDである私は幼少期から残酷な光景をたぶん人より少し多く見てきたのだが、だとしても暴力が好きとかそういう刺激に脳が麻痺しているとかそういうことにはなってはいない。

思い出せる範囲での最も幼い時の怖い光景は、隣に住んでいた従兄弟のKちゃんが、私の目の前で井戸に落ちてしまった事件だ。Kちゃんは無事救出された。私は5歳くらいだ。今でも井戸は苦手だ。

それからあと私のドキドキハラハラを担当していたメイン人物は2つ年下の弟である。

弟とは私の精神病発病後疎遠となっている。弟は今は東欧の小さな国で芸術家として暮らしている。

弟は私に輪をかけて多動な問題児だった。幼い頃から何回も交通事故にあっている。段差があれば登る。そして落ちたら危ないところからは必ず落ちる。顔中血だらけの弟を家に連れて帰ったことがある。私は6歳だった。

母は弟を溺愛していた。弟の怪我は私の過失とされて私は折檻された。だから私は弟から出来る限り逃げていた。それなのに弟は私の側を離れなかった。お姉ちゃん、お姉ちゃんと言って何処へでもついてきたものだ。

弟の小さな手の感じを今も覚えている。弟の手が私から離れる。危ないから止めて、私は絶叫した。苦しい記憶。本当苦しい。

私と弟は同じ高校へ通った。弟は荒れていた。手当たり次第の悪行でまたたく間に停学となる。

弟は心根は優しかった。お姉ちゃんこのレコード貸して。お姉ちゃん今度の日曜日どこ行くの?弟はよく話す子だった。高校生になっても私は弟のお守役なのかとうんざりしつつも、私は心の何処かで弟を自分と同じ生きづらさを抱えた同胞だと感じていた。

ある時弟は集団リンチに遭った。襲ったのは手練れのチンピラで、そういう人たちは喧嘩慣れをしているから必ず顔を狙った。人間の顔というのは体の中で最も硬い。顔ならば重症にはならない。だから弟は幸い脳や脊椎の損傷はなかったがあの日、布団で横になっているたこ焼きみたいな何かが弟の顔だとわかるまでに少し時間がかかった。

母は泣いていた。その当時母はもう私を折檻することは無かったが、弟がどうしてこんな目に遭うのか説明して欲しいと私にすがりついて来た。私は知っている限りの情報を伝えた。関わったチンピラの面子もわかっていた。簡単な話だった。間も無く解決だ。父や叔父たちが黙ってはいないからだ。

そして私は少し迷ったが母に話した。弟が殴られると知りながらも出かけて行ったこと、そして私はそれを止めなかったことを。

弟は探偵ではなかったが、その頃ややこしい事に巻き込まれ始めていた。ねぇお姉ちゃんならどうする?話つけるよ。会話はこれだけだった。

母は押し黙ったままで私を見ようともしない。母は弟が自分ではなく私に相談していたことに強く嫉妬していたのだ。何十年もたっているのにこの日の事を苦しく思い出す。何が苦しいのかはわからない。母の弟への強い思いと弟を止めなかった自分の過失と。

ねぇお姉ちゃん、ねぇお姉ちゃん。弟に誰か好きな人が出来ると私にはすぐにわかった。書ききれないけれどそれからも弟とは色々なことがあった。お姉ちゃんが死んだら僕は終わる。弟は屈託が無かった。2年前母が死んだ時すごく久しぶりに電話で話した。弟は変わっていなかった。僕、うん、頑張ってるよ。お姉ちゃんか?うん。なんとか生きてるよ。

「you can't hurry love」は1982年のフィルコリンズのヒット曲だ。もともとは60年代の曲らしい。

踊りまくるフィルコリンズを観ている。

弟が外国の女性と結婚をしたことを最近知った。

きっともうすっかりおじさんになっているんだろうな。