北京面食

マイケルポーラン「COOKED」を読み始めた。なかなか面白いことが書いてある。人は誰かが料理をしている光景を見ることで大切な何かを埋め合わせるという。そういえば私の脳内の面々も皆一様に台所好きである。作る見る食べる。である。

肝臓癌で亡くなった知人も死の前日までちゃんとご飯を食べていた。食事は大切な何かだ。ただ栄養を摂取するということだけではないのだ。トントンというまな板を打つ包丁の音は心を癒す。知人は在宅死を選んだ。

長女の一家との同居が始まり、バタバタしていたが、ようやく落ち着いた感じだ。ママは特に何もしなくていいから、時々変な食べ物を作ってね、という微妙なポジションを任されている。

昨日は長女の家のシステムキッチンの隅でひっそり人参をしりしりした。

朝食にパンを作ってくれといわれてここ数日北京のパンを作っている。

生ハムの花巻き、肉そぼろの焼餅。今朝は蒸すか焼くか迷った。時間があったので両方作った。薄力粉の花巻きの生地には残ってる生ハム、強力粉の焼餅には何も挟むあてはない。中を空洞にするためにひとつひとつに油をつけて丸めた生地を仕込むが、焼きあがった時この小さな中の丸餅が実は美味しい。5歳はそのことにすでに気づいた。ふふん。

ウーウェンの本だと強力粉の生地には水分が多い。そしてあまり捏ねない。粉切れまで箸でいく。そこがなんとも北京な感じで好きである。

薄力粉の生地は結構捏ねる。こちらは生地が柔らかくて癒される。水素水は吸収が良く、レシピ通りだとべたつく。目分量というやつが苦手な私は毎回悩む。この次は浄水でやろう。

長女は五香粉が苦手だが、婿は平気だ。彼はリコリス系も大丈夫なようだ。世の中うまくできている。

前回時短になるからBPを使ったがなんか違う。今朝は普通にドライイーストでいった。甘い感じ、湿気った感じ、生地の気持ちで発酵を進める。

早起きの長女が起きて来た。

台所がセイロの蒸気で温もっていく。