ヘンリー・クレイ・ワーク 「ジョージア行進曲」

ここ数日グリドルスコーンを焼いている。薄力粉とBP、wetに水で薄めたヨーグルト、打ち粉をしなければ手に取れないほどのゆるい生地は数回真似事のように捏ねるだけ。私の持っているイギリスのレシピには12回捏ねる、とあるが、柔らかすぎてとても捏ねられた生地ではない。

グリドルスコーンのグリドルとは鉄製のフライパンのことだ。スコットランドでは大昔は石で焼いていたという。私は一緒に暮らし始めた長女も呆れるほどの貧乏性で、高価な調理器具は一切持たない。特にフライパンはいつもホームセンターで購入し、消耗品扱いである。

このイギリスのグリドルスコーンはどういう訳か安価なフライパンでなければ上手く焼けないと私は思いこんでいる節がある。

外側はカリッと硬く、中はふわふわ。噛めばしっとり。病みつきになる貧乏パン。シンプルにして完成度は高い。

先日モリコロパークという愛知県の広い児童公園内にある『サツキとメイの家』へ行ってきた。ジブリの「となりのトトロ」に出てくるサツキと妹のメイの暮らす家が映画村のセットよろしく建っていた。万博当時たいへんな賑わいで観ることが叶わなかった。入場券と別にチケットを買わねばならないが観る価値は充分にあると思う。とにかくリアル、正真正銘本物のとなりのトトロの世界がそこにある。

ガイドがいて、見学中も説明が続く。質問はありますか?と言うので私は手を挙げて「クスノキはどこに?」と尋ねてみたところ、初老の男性のガイドは遠くの山を指差して「あの山の中にありますよ」と微笑んだ。そうか、いちおうあるわけね。しかし私のはてなは止まらない。「宮崎駿さんはここへ来ますか?」「もちろん」「お忍びで?」「いえ、堂々と」。

帰宅後矢も盾もたまらず「となりのトトロ」のDVDを観た。確認である。すると驚いたことに画面から、モリコロパークで見た、今では失われ、忘れ去られた昭和の逸品たちが次から次へと飛び込んでくる。もうそれはビュンビュンと。

メイの小さなお弁当箱は赤い。井戸は外と台所の二箇所。物干し竿の支柱の先には空き缶が伏せて被せてある。サツキは七輪で片口鰯を焦がしていた。そして土間の竈の下は薪のオーブンになっていた。

いいなあ。薪のオーブンかあ。

モリコロパークサツキとメイの家では戸棚や押し入れの中は見放題、触り放題。居間の押し入れの下の段にはサツキの宝物入れがあった。蓋を開けると中にはビー玉が数個入っていた。その下のカンカンには一体何が入っているのだろう?

気になる。‥‥‥もう一度行かねば。

当時サツキは忙しい毎日だっただろう。もちろん私自身は世代的には少し新しい。ガスもあったし、水道もあった。それでも私はサツキに激しく感情移入するのだ。

私はこの次はガイドのおじさんに「トトロはどこに?」と尋ねかねない。

ジブリは何処か怖い世界の入り口だと改めて思うのだ。

あのおじさんはひょっとして変装した宮崎駿

実はモリコロパークには実は夜な夜な猫バスが来ているのでは?

その数日後、移動中の車の中で吹奏楽が流れていた。ヘンリー・クレイ・ワークの「ジョージア行進曲」だ。東京節。その昔、パイのパイのパイ、という歌詞でドリフターズが歌っていた。‥‥‥強烈な郷愁。

とにかく古い時代のものが大好きだ。

今朝もやわやわの生地を、細心の注意を払いながらどうにかまとめ4分割、えいっとフライパンに運んでじわりじわり。19世紀スコットランドのグリドルスコーンを焼く。

実写ジブリの呪縛はなかなかに解かれない。

サツキはトランス状態で幻を見たのだろうか。猫バスは獣臭がしないだろうか。

あれは映画。あれは創りもの。やだよ、全く。

ジョージア行進曲は南北戦争の軍歌である。古いものが好きとはいえ、そりゃいくらなんでも古すぎるよね。

夢見がち。

あかん。

ジブリには要注意だ。