fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

Juan Luis Guerra 440

ファンルイスゲラのCDを聴く。このあいだリビングでギルバートオサリバンを聴いていたら長女が喰いついた。これは誰?ひょっとして私子どもの頃これ聴いてた?どうやら聴き覚えがあるらしい。いやこれTVコマーシャルの曲だからさ。ふうん。ざっとかいつまんで説明したところ、つまりはイギリスの北島三郎的な人ね、と長女が言った。

私は北島三郎が好きだ。家族は皆知っている。北島三郎が好きだが大御所が皆好きというわけではない。私が北島三郎を好きなのは彼が非常にソウルフルだからだ。最近はNHKなどに和服姿で現れる。与作。祭。その他もろもろの漁師たちの心情を唄いあげる唄。

まだ1度もリビングで北島三郎を聴いたことはない。実は私のパンを捏ねる時のBGMはサブちゃんなのだ。パン捏ねはソウルフルな作業だ。

ポレンタのことを初めて読んだのは10年以上昔。南仏の滞在記だった。その時はまだ脳にコツンと小石が当たるくらいのヒットだった。連投中の澤村が軽く口元をほころばせてファーストへ拾いあげるピッチャーゴロ。

先週米沢亜衣の本を図書館でまた借りた。米沢さんの文章はちょいちょい色んなところで見かけていた。イタリア料理の本、A Spasso per I'Italiaはイタリアの郷土料理の写真集のような仕上がりになっている。1巻と2巻が出ており、1巻は閉架であった。閉架で宜しい。閉架であれば誰かが持っていくということはない。私は2巻をまた借りた。なかなか離れられない。買うか。悩んでいる。

彼女はポレンタについてこう書いている。「味覚のどこにも響いてこない」「次第に粒子の一粒一粒を舌が感じ取り、鼻が匂いを嗅ぎ分けるようになると、ポレンタという食べ物が急に舞台のど真ん中で踊りはじめた」。

舌は感じ取るものだし、鼻は嗅ぎ分けるものだからこの記述はしごく当たり前のなんのてらいもない、むしろ食レポとしてはいただけない部類の記述だ。しかし真実味があるではないか。やや疲れ気味の澤村がそれでも美しいフォームでただ重たいだけのストレートを放った。ど真ん中に来た。

usaoが消えて脳内の幾つかの扉が開いた。私には彫刻家の叔母がいた。叔母はローマ在住で、時々私の家に滞在した。叔母が描いた海の絵。私が初めて見た油絵だった。ラザニアを捏ねる叔母の姿。叔母のスーツケースの中に散らばるウズラ豆。叔母からのエアメール。叔母の彫るただただ悲しいだけのイコン。

叔母はポレンタを食べたかな。

沈んでしまわないようにラテン音楽を聴く。大御所だ。

まあ、北島三郎的な。

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