講談社学術文庫 舟田詠子「パンの文化史」

内田洋子の本は装丁がいい。単行本は表紙が固いので苦手だが「ジーノの家」の扉は美しい。淡いアサギ色。真ん中あたりに明朝体で題字。

アサギ色が好きだ。3月に藍の種を播く。夏至のころ生葉が沢山出ると摘み取りミキサーにかけて絹や麻を染める。日光で退色してゆくから何年ももつわけではない。他の衣類に移色するから扱いも面倒くさい。

藍はタデに似ていてそう言われなければ気づかない見た目をしているのもいい。葉を千切ると数日で黒く焼けてしまう。藍は生きているのだ。

春先に花が出る寸前の桜の枝を折る。咲こうとしていた桜の枝には桜色の色素が蓄えられていて、鉄もアルミニウムも加えない煮汁は間違いなく桜色である。まだ寒いうちから桜の枝を調達することを思案する。

庭の雑草を幾種類か獲り、なんとなく煮て、絹の切れ端を染めたことがあった。そのころ娘たちはまだ幼くて、この実験をわくわくしながら手伝った。私は色止めに強い鉄剤を使った。その色が長持ちすればいいと考えたからだ。あの絹切れは何処へ行ってしまったのだろう。

「パンの文化史」は面白い。昔アルプスの村ではサワー種を棚に放置していた。堅く表面のひび割れた餅のようになったサワー種はぬるま湯に漬ければ生き返るとある。

サッカロミセス。酵母菌はサッカロ夫人なのか。

いつしか娘たちは大人になり、ああでもない、こうでもないとおしゃべりは続く。ママの言うことは全く参考にならない、と笑われる。そうかね。

今日も小麦の研究は続く。パン種の発酵は思考に似ている。

棚に放置された古ぼけたパン種はちゃんと生きている。暗がりでひっそり呼吸をしているのだ。

蘇ったのは淡いアサギ色。

鍋のなかの束の間の桜色。

渋みを含んだ庭の緑。

娘たちの笑顔。