鳥羽一郎の「兄弟船」を聴く。JPOPなら何でも好きというわけではないのと同様に全ての演歌が名曲というわけではない。それにしてもどうして最近演歌を口ずさむのか。これらの演歌たちはいつ何処で脳内に入力されたのだろうか。
「兄弟船」の兄と弟は父親の形見の型落ちの漁船で真冬の海へと漁に出る。もう大人であろうこの兄弟はしけに遭う。漁船の揺れは酷いものだろう。おそらくは絶え間ないローリング(横揺れ)とピッチング(縦揺れ)に襲われて、命すらおぼつかない状態だ。
そして驚くなかれこの激しい揺れを「夢の揺りかごだ」と歌い上げる。無茶苦茶な話だ。虚勢を張っているのだ。しかもいい大人が「揺りかご」とは。
兄弟は父親の愛はここにあると信じて疑わないのだ。これは大したストレス耐性である。どんな酷い目に遭わせられても彼らは愛されていると信じて疑わない。
愛されていると感じる感性は生来のものではない。愛とは何かの定義はむつかしい。言いたいことはこういうことだ。愛に溢れた家庭を形造る数々のアイテム、例えば家族の団欒、笑顔、屈託のない言葉のやりとり。しかしながらそれら全てが何処かの誰かの真似事ならばそこには真の愛はないだろう。
私の好きな演歌の数々は皆同様に少々の偽りを歌い上げるものが多い。しかしながらハッタリをかましては孤独を誤魔化し、時にはドシャ降りの雨の中を駆け抜けてやり過ごさねば生きては行かれなかった彼ら彼女らの日々の現実にわたしは酷く共感するのだ。
どれほど辛かろうと生きることはやめない。
解離はそんな脳のオートマチックスターターなのだ。
わたしが小学校のころ遠足が苦手だったのはお弁当を持って行かねばならなかったからだ。私の母はお弁当を作ってはくれなかった。わたしは自分でお弁当を作れるようになるまでは遠足をいつも休んだ。
遠足は幼稚園時代から1度も行ったことはないから遠足は行かないものだという了解が当時のわたしにはもう当たり前のようにあった。
ところがある日、父がわたしに遠足の弁当を作ってくれると言った。父が朝手渡してくれた弁当は紙の箱に入ったサンドイッチだった。父が自分のお店でだしている、喫茶店でテイクアウトするそれだったのだ。ハム、キュウリ、焼いた卵焼き、辛子、マヨネーズ、ケチャップ。薄切りのパンはトーストしてあった。
遠足のバスに揺られたわたしは途中車酔いをしてひどく吐いた。当時のわたしはストレス耐性が低く、遠足そのものがかなりの緊張だったし、バスに長時間揺られるのは苦行だった。
昼になり、父の手作りサンドイッチを一口食べ、わたしはわけもなく泣いてしまったことを覚えている。
紙の箱に入ったサンドイッチはみんなと違っていて恥ずかしかった。だけどサンドイッチはすごく美味しくてそれがすごく嬉しかったのかもしれない。いつもそうだけど涙の訳はよくわからないことが多いのだ。
父はお世辞にも立派な父親とは言い難い人間で、暴力的で気分屋で、わたしは怖い思いも沢山したけれどあのサンドイッチは本物だった。そこには確かにあったのだ。それはわたしのためのサンドイッチだった。
「兄弟船」はわたしには名曲だ。
わたしには歌い上げるほどの何かはないが、不完全で不器用だがわたしは死なずに生き延びた。
荒海に揺られて生き抜いたのは父も母も同様、虚勢を張らねばいられなかった。安定して我が子を温かく見守れぬ親にも苦闘はあるのだろう。
そんな心境を歌い上げる。
鳥羽一郎いいな。まあ、それだけの話だ。