ジョイス「星に願いを」

銀行で住所変更の手続きをした。引越ししたのは11月だから随分怠けていたものだ。

うちの近所のとある地方都市銀行のとある支店のごく普通の窓口が鬼門だ。

前回の住所変更手続きの際、職員の勧めに乗せられるままに静脈認証の登録をしたのだが、装置に何かのエラーが発生してもうそれは気が遠くなるくらいの時間ソファで待たされた。一緒に居た主人もあなたの奥さんの掌の静脈は機械で読み取れないのです、という理由で軟禁されたこの銀行の前を通り掛かるだけで今だに血圧が上がるのだ。あなたの奥さんはエイリアンです。職員は主人に囁いたのか。

今日住所変更手続きをせねばならなかったのはいつの間にか引き出しの中の通帳の磁気がイカれたせいだ。通帳記入出来なくなった。

もろもろの手続きは無事終了した。終わり頃わたしはカウンターの端にある可愛らしいロバのイラストに目を留めた。中のパンフを手に取る。職員が言った。静脈認証登録はお済みですか?パンフレットはその紙だったのだ。結構です。わたしは紙を元に戻す。ロバだ。トラップだ。気を付けなくては。

数日前「となりのトトロ」に出てくるサツキとメイの家を再び訪ねた。名古屋市モリコロパークという大きな森の中にある。

入店証のような札を首から下げる。中で写真撮影は出来ない、飲み物は庭で飲む、二階へは上れない等職員の説明のあと三百メートル程のアプローチを職員のあとを付いて歩き、サツキとメイの家まで行く。

職員がいう。みなさん〜、サツキとメイのお父さんの名前を知ってますか?糸井重里?違いますよ!草壁タツオです!職員は後ろ歩きでバスガイドのようなこともする。

じゃ、この中でサツキとメイのお母さんの名前、知ってる人、いーまーすーかー?

わたしは手を挙げる。職員がわたしに会釈する。草壁靖子です。わたしは答える。やめてよ。長女が小声で言う。5歳は笑っている。

その日わたしは茶箪笥の引き出しにサツキとメイのお父さんのものであろう缶ピースを見つけた。中は空だったけれどね。

モリコロパークのサイクリングコースを一群のロードバイクが走り去る。今度はダホン持って来ようかな。

ロバの近縁には2種類ある。ラバとケッティだ。どちらも不妊。生理学的なことはよくわからない。写真を見る。

サツキとメイの家の裏には1台の黒い自転車があった。昭和の自転車だ。サドルがボロボロだったな。重い荷物が乗りそうな、頑丈そうな自転車だった。

わたしが幼児のころ、うちの前の道に行商が来た。自転車のうしろには大きな木の箱。おじさんが素手を差し込んで掴み出したものは赤い生肉の塊だった。日なたの匂いと乾いた獣臭。バネ秤りでおじさんは肉を秤り、母がお金を払った。

そのあと母は台所でいそいそと薄切りの生肉をどんぶりの濃口醤油にどんどんぶち込む。わたしは大抵母の掌から一切れの生肉を口に入れてもらったものだ。それは大抵内臓肉だった。

今は肉食をほとんどしない。あの日の母の掌の肉の味を忘れられない。美味しかった。ほんと。美味しかったんだってば。

電気感受性体質という症状があるらしい。わたしは能動型である。緊張や不安が強まると体から弱い電磁波が出る。わたしは強い恐怖や怒りの感情で全自動洗濯機のICチップを破壊したり、テレビの電源を入れたりする。怖いシーンを見たくない、と強く念じて瞬間目を覆うが同時にDVDの画面も停止させてしまうので家族からは怒られ退室させられる。

銀行の静脈認証登録装置がエラーを起こしたのはおそらくそのせいだがそんなことを説明したところで何もいいことはない。

サツキとメイの家に戻ろう。

あの森の中の家には電子機器がないがわたしは子育てのある期間、電子機器を出来るだけ排除して暮らしていたことがある。テレビも電子ジャーもなかった。結局壊れてしまうからね。

わたしの異常体質は幼い頃のあの生肉のせいでは?

脈絡なくそう考えることがある。