内田ユキオ「ライカとモノクロの日々」

一昨日主人とポタリング。日没前には帰りたいと早朝家を出る。想像以上に風が冷たい。マックはまだか。

昼ご飯はタイカレー。主人はバジル風味の肉そぼろご飯。50円で目玉焼きを載せてくれる。タイ料理のお店に入るのは生まれて初めてだ。サラリーマンが入店待ちの行列を作る人気店だ。

折り返しはコースを東に取ることに。緩やかに高度を稼ぎ山へと帰る。走り込んでいる主人は坂道もすいすい。わたしは降りて自転車を引く。心拍数が上がって歩いているだけでも汗をかく。

小径自転車のことをフォールディングバイクと言ったりするが確かにこの自転車はなんだか可愛い。遥か遠くへと坂を登り切った主人の姿はもう見えないが自転車を引いて歩いていればあまりさみしさは感じない。ひとりきりではないよと言われているような、乗ったらいいさと励まされているような。

長い坂を自転車を引いて登りながらわたしは正田陽一の文章を思い返していた。明治のことだ。日清・日露と戦争があり、馬格の大きい洋種馬(サラブレッドのことなのかな)、とにかく馬は背の高い速いものたちがお墨付きとなる。軍備として、戦いの道具として馬は用いられた。明治34年「馬匹去勢法」そして昭和14年「種馬統制法」。荷役を主とする日本の主だった場所の在来馬はほぼ消滅した。確かロバについての記述は無かったがロバの輸入が禁止となったのはおそらくこの頃のことだろう。

対州馬は今では25頭を数えるのみ。道産子はもう少し沢山いる。

モータリゼーション云々ではない話。子を産ませるななどという布告の残酷さには全く参る。

さて坂を登り切った。なんと見晴らしの良いことか。眼下を蛇行する川と町。じゃこんどはあのマックまで。なだらかな下りの一本道を主人は行ってしまった。わたしも自転車を走らせる。

いつだったか対馬についての本を読んだことがある。その昔対馬は朝鮮からの経由地だった。歴史的建造物は今まだ残っているだろうか。対馬ヤマネコという野生種はもう絶滅しただろうか。

ようやくマクドナルド到着。暖かい店内で珈琲を飲みながら先ほどBOOKOFFで買ったばかりの内田ユキオ「ライカとモノクロの日々」をパラパラ。よくわからない。この写真家は今もまだフィルムで撮影しているのだろうか。専門用語が結構出てくる。コダクローム。どんな色なのか。

はてなでいっぱいが丁度いい。わたしはそんなへんな脳をしているのだ。もうひと頑張り。さあ帰ろう。

帰宅後風呂に入ったのち夕食を断り部屋に籠もって馬たちの写真をひたすら観た。馬たちは一様に皆横写しで悲しいほど脱力した姿で写真に収められていた。有史以来一家に一匹のロバを飼っていたという国もある。ロバは愛らしいがなるほど馬の魅力は写真からは伝わりにくいのかもしれない。

馬に股がってみよう。人間の両脚の開き具合が馬の背中にピッタリとくる。牛や象ではこうはいかない。馬でなけれはならなかった。馬は人を乗せるために生きている。正田陽一は書いている。

だからこそ戦争にも駆り出され、だからこそ淘汰もされた。

対馬かあ。

いやいや、無理。

九州かあ。始発で西に向かう。とにかく行けるところまで行く。行けそうだよね。行ってみたいなあ。

あれ、これ、行っちゃう感じ?

もしかして対馬、行っちゃう感じ?