Kitty Daisy & Lewis 「Going Up The Country」

若い時代には曇り空が好きだった。ライカについての文章を力任せ読む。せめぎ合いの脳内では今のところはライカの勝ち。

どんな景色にも、どんな横顔にも正解などはない。そこには録り手の思いがあるだけ。ライカ撮りは自分の心に正直でなければならない。

許すということは受け入れるということに似ている。受け入れるためには理解しなければならない。理解には時間がかかる。だからまずは疑う。大抵は間違いを冒して居る。真実とは正反対の自分本位の感情があらゆる景色を濁らせる。

空間を保つ。接写を許すな。距離というと淋しいけれど、正しく離れていることが1番大切だ。尊厳を保つため。フリーを許すため。動きを見守るため。

今まではわたしの中で動いている何かは全てが巻き戻しの記憶の再生だったから。置いて来たから。保留して来たから。沢山たくさん一旦置いたままだったから。

精神科とかメンタルヘルスとか薬とかカウンセリングとか言うけどさ、毎日の過ごし方は1番大切なのだと当たり前のことにようやく向き合うためにはもっと力をつけなくちゃ。

鏡を見る。

じっと手を見ると言ったのは誰だったかな。

美容院で雑誌を読んだ。雑誌を読むなんて。雑誌を読むなんて。上手く言えないけど雑誌を読むなんて。

ただひたすら流れる時間が怖いのだ。生身で生きていくのは怖いのだ。

キティ・デイジー&ルイスをiPhoneで聴いてみた。

ビンゴ。

ロバだ。牧場だ。モノクロだ。

ボーカルの姉ちゃんは強そうだな。こんな風に歌ったりこんな風に演奏したり出来るなら。

ライカ撮りでなくてもなにはともかく裸眼でまず観る。綺麗と思えるか。素敵と思えるか。

この地球上を素敵だと思えるか。

生きていることをわたしは喜べるか。

生まれてきたことを。

今日も明日も明後日も。