ジャクリーヌ・デュプレを聴いたのは99年頃でもう仕事も辞め精神科受診も始まり自宅療養をしていた。
はじまりは図書館で見かけた本だ。「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」という本だった。ほんとうの、という言葉に弱い。とうとう一曲も聴くことなくその本を読了し、何日か迷ったけれどAmazonでCDを一枚買った。そのアルバムの一曲目がパラディスのシシリエンヌだった。
低音が際立つのはストラディバリウスの癖だとライナーノーツにある。その後他のアーチストのチェロのCDをTSUTAYAで何枚も借りては聴いたがどのCDもしばらく聴いてはジャクリーヌ・デュプレの演奏に戻る。
溜めの効いた初発の音や息の長いピークの引き挙げ音。その後デュプレによるジャズ演奏の録音なども聴く機会があったが今手元に残っているのは99年に買った一枚である。
シシリエンヌが始まると何をしていても聴き入った。読書や調理の脳はストップし、脳裏にはデュプレのロングヘアーを振り乱しながらのステージがフラッシュする。もちろん演奏を直に聴くことは出来ないから空想だけど。
わたしは歩きながらでも脳内でジャクリーヌ・デュプレのこのCDを再生した。で、まず、シシリエンヌだった。
ある時、突然、このシシリエンヌに歌詞がついた。わたしが勝手に付けたのだ。声楽をやる友人に聴いてもらったところチェロというのは演奏の音域が広く人間にはおよそ歌えない曲が多いという。シシリエンヌもそうだった。
これはデュオだね。
友人はそう言ってわたしの歌詞付きのシシリエンヌを女性パートと男性パートに分けてくれた。そうなるとやってみたくなる。やってみた。男性パートにはこれまた別の友人を引っ張り出した。歌詞の書いてある紙を手渡し、2人で笑い転げながら歌った。
こんな歌だ。
言葉も無くて溜め息ばかりついている
疲れているの?
それとも怒ってるの?
もう過ぎたこと?
今よ今、行かなくちゃ
ここから抜け出さなきゃ
険しい谷
駆け下りるロバ
命の鼓動を確かめては進む
‥‥これだけしか思い出せない。自殺企図のたびに日記を処分してしまうから記録がないのだ。
ふーん、なかなかいいじゃん。
パトリックが言う。
ロバ。歌ってんじゃん。
そうだよね〜
ものすごく久しぶりに今朝ジャクリーヌ・デュプレを聴いた。
会ってみたかった、話してみたかった、そんな誰かはみんなみんな死んでしまった。だからといってわたしが死んでもその人たちに会えるという話ではない。
そうだな、シシリエンヌの歌詞の続きを新しく考えよう、何と無くそう思った。わたしはもうすっかりおばさんになったのだ。低音を際立たせよう。ドスの効いたチェロのメロディを何度も何度も脳内で再生する。
そうだな、デュプレのようなAラインのワンピースを着るのもいいね。
パトリックが笑う。