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若い友人が酵母を分けて欲しいとやって来た。日曜日の午後のひととき。我々は酵母云々と盛り上がった。ブランジュリー コム・シノワの本を読んでみせる。「酵母というものは厨房が変わったり新しくなると不安定になります」

おお。わたしたちは顔を見合わせる。

てか、菌が不安定ってどういうことだよ。そりゃまあとにかくあれだよ。不安定ってことだよ。

続く文章には仕込む人間の性格までもが影響するとある。旭屋出版 西川功晃「パンの教科書」のp11。そうか、プロがそう言ってんだからさ。ね。わたしは壊れものを扱うように切り分けた生姜酵母の元種をビニール袋に入れて彼女に手渡した。

呼吸してるんだよね。

彼女はそう言って袋の口を開け閉めした。

夕ご飯に骨付きの鶏肉とジャガイモだけの塩味のスープを作る。このところなんでいつもこんなキャンプ場みたいな献立になってしまうのかは自分でもよくわからない。玉ねぎも人参もあったのだがとにかくそういうスープは嫌だったのだ。ジャガイモだって皮ごと別茹でして食べる時にゴロンと放り込んだくらいなのだ。

人参と紫キャベツは切り刻んでオイルと塩とマスタード、ビネガーでそれぞれ和えたものを別個に盛り付ける。完璧に脳が疲れている。何かと何かが混ざり合うことを容認できない。

片付けを終え辺りを見回す。そうだ。すべきことはたったひとつ。パンだ。今夜はライ麦パンの生地を作ろう。ほんのお願い程度にかき混ぜただけの生地を抱え倒れこむように眠りに着く。

ネティは1930年頃のインドネシアの歌手である。クロンチョンという音楽ジャンルがあるがまあそんなに詳しくはない。専門書も結構出ている。読んでも読んでもわからない記述が多いのだ。クロンチョンとは素晴らしく純度の高い[混血音楽]である、などとある。ほうか。んじゃ聴くわ。とりあえず聴くわ。

有名な曲はブンガワンソロだ。これだって若い人は知らないかもしれない。わたしは若い頃とある同人誌のお手伝いをしていたのだがその同人誌のメンバーはお年寄りがほとんどで打ち上げではよく懐メロを歌い、ブンガワンソロはそれはそれは人気があった。ブンガワンソロはもとは日本の曲ではない。戦争で傷付き、戦争が今も思いの中で終わらない爺ちゃん婆ちゃんに囲まれてブンガワンソロを歌うのは本当に気持ちの良いものだった。わたしはもはや無国籍だった。大東亜なにやらの謎めいた女歌手のひとりとなるのだった。

2006年にプレスされたCD「クロンチョン歴史物語」には24曲のクロンチョンが収められて居るがCDの最後がブンガワンソロで、ライナーノーツにはこの曲のオリジナル音源が著作権の関係で手に入らずいきなりのステレオ録音になりお聴き苦しいかもしれないが、どうかお許しいただきたい、とある。ということでここでわたしは苦しくなるべきかどうかを考えながら聴く。どうかお許しいただきたいたいのブンガワンソロがまたいい。

さて今日の弁当にトンカツなるものを作った。バッター液をていねいに合わせる。バッター液というのは小麦と卵と牛乳を混ぜたものだ。ボタボタのバッター液で肉を包みパン粉をつけた。揚げたてを食べてみる。なんとこれは破壊的に美味しいではないか。

これはいきなりのステレオ録音をお許しいただきたいに似てはいないだろうか。

いきなりのトンカツをお許しいただきたい。