平松洋子 ジョン・キョンファ「とっておきの韓国・朝鮮料理」

ヒガさんは沖縄出身の20代前半の女の人で、もうひとりの沖縄出身の女性とわたしの家にお正月明けに2、3日滞在した。もう40年前のことだ。わたしは10歳だった。

ヒガさんという苗字と茶色いショートヘア、うつむきがちで儚げな笑顔、薄い色の瞳を今も忘れない。ふたりは近所の美容院の見習いでわたしの両親のお店の常連だった。その年の暮れふたりは沖縄へは帰らず、お正月明けの休暇にうちで一緒に夕ご飯を食べた。わたしはヒガさん、ヒガさんと親しく話し掛けては一緒にテレビを見て笑った。

わたしがヒガさんを好きだったのには訳がある。彼女が朝鮮料理を好きだったからだ。ヒガさんだけがその休暇ののちに美容院を辞め、何処かへ行ってしまったから、あの滞在はひょっとするとお別れのパーティーだったのかもしれない。

「とっておきの韓国・朝鮮料理」は数あるコリアン料理本の中でわたしが一番気に入っている本である。

時々だが「キムチの付け方を教えて」と言ってくる友人がいる。他の人は知らないがわたしの家ではキムチは母が作っていて、キムチ作りにわたしは一切関与しなかったし、積極的に作りたいと思うこともなかった。だから母に教えてくれと頼んだこともなかったしこれを覚えよという伝承の味というものも存在しない。

料理をというのは不思議なものだと思う。何々料理と一言でいうもののそこには個人の主観による思い込みがあり、真反対の味付けを互いに主張し合うことすらある。だからわたしははっきりこれだと言い切ることが怖い。キムチを教えて。知らない。貴女が食べてたやつを。だから作ったことがないの買ってくれば?と気が付けばイライラ、いつの間にかやり返している。

わたしだって作りたいのだ。そうさ、作ってみたいよ、あれを、楽しかったあの日の宴会のあのフルコースをさ。この平松洋子の本はおそらくは韓国の南の方の料理を主として載せていて、出てくるメニューがわたしの育った部落の味付けとよく似ていた。それでわたしはいつもこれを見ながらあれこれと作ることにしているのだ。

じっさいわたしにはトラウマがある。朝鮮料理はニンニク臭が強い。時々コリアンの料理研究家の中にもこれは臭くないですよ、などと謳っているレシピを見るがなんだかやりきれない。わたしの母もニンニク臭を嫌っていた。一日中ガムを噛んでいたのも口臭を気にしてのことだった。

ニンニク大丈夫?

わたしはよく友人たちに尋ねる。

世の中は変わった。若い人はニンニク大好きとか言うし、中には朝鮮料理大好き、わたしはコリアンに生まれたかったなどと言う人もいる。わたしはイタリア人かフランス人に生まれたかったな。

ヒガさんは母によく懐いていた。ふたりが並ぶとまるで外人の姉妹のように見えなくもなかった。まるでジェーン・バーキンカトリーヌ・ドヌーブ。わたしは強く憧れた。

こんなことをつらつらと書いているわたしは全く意気地なしだ。出物腫物は嫌われる。それは身にしみている。臭いものには蓋、それがこの世の習わしだ。

そういえば母はキムチの仕込み液に必ず昆布茶を使っていたな。青菜のキムチは揉んだらダメだ。そんなことも言っとったな。

あの日、ヒガさんと母が並んで美しく優雅に朝鮮料理にぱくついていた。茹でた豚バラの厚切りを赤い酢味噌に浸したらそれをレタスで包んで大口開けて放り込む。

当時わたしはヒガさんのカットモデルだった。

だからわたしはまるでマッシュルームみたいな変なまん丸のヘアースタイルだ。笑えるな。

ヒガさんはあれから美容師になったのかな。

沖縄出身のジェーン・バーキンは今どうしているのかな。