小説 丘の上から 冬の章 6

パトリックは昼を過ぎても延々と歌いつづけた。はじめそれらの歌はエルのためのものだと思っていたけれど途中からエルまでもが歌い始めた。ふたりのリズムとメロディは果てし無く続くように思われた。

僕の聴いたことのあるメロディも時々あったけれどほとんどは聴いたことのない英語の歌詞だった。ギターと歌声の合間には浜辺に波の打ち寄せる音がした。僕は窓に張り付くようにして水平線を眺めた。満潮が近づくにつれ海は少しずつうねりを増している。

「休憩だ」パトリックがそう言ってバンジョーを置いた。

「ありがとう」エルが微笑んだ。

僕は再び水平線を眺めた。フライデーの話ではエルとパトリックは時々サーフィンをするらしい。真冬でも出来ないことはないのだが今日はどうやらそんな雰囲気ではないようだった。

僕は自殺未遂をした美和のことを考えていた。僕には理解が出来なかった。どうして美和は自分の命を自分で終わらせようとしたのだろうか。僕にはじっさいは見えないけれど迫田と美和は仲良く幸せに暮らしていたという。ジョージは想定内だと言っていた。お腹を包丁で刺してしまうことを想定していたというのだろうか。しかも赤ん坊がいるというのにだ。いろいろなことが僕にはわからない。

気が付くとエルはソファーで眠っていた。部屋の中は温かで波の音だけが聴こえてくる。パトリックが僕に干した魚をくれた。初めて食べる味だった。魚はほんのり甘くて美味しかった。

「迫田が病院に来た」パトリックがポツリとつぶやいた。そう言ってパトリックはペーパーバックをめくる手を止めた。宙を見ている。僕はパトリックが美和の視界を捉えていることにすぐに気づいた。

「見えるんですか」僕は窓から駆け下りるとパトリックの膝に飛び乗った。パトリックは小さく頷いた。

「どんな感じですか。教えてください」

「待って」パトリックは宙を見つめている。数分間が過ぎパトリックが笑ったような顔つきをした。そうして何も言わずに僕の背中をゆっくりと撫でた。

「迫田は泣いてるよ」パトリックがつぶやいた。

「あの、その、赤ちゃんは、お腹の赤ちゃんはどうなりましたか」僕はパトリックの胸によじ登る。

「大丈夫、生きていた。赤ん坊も美和も」

「よかった。よかったです!」僕は嬉しくて宙返りを2回した。

「でもなぜ迫田さんは泣くんですか」

「泣きたかったんだろ。人間は嬉しい時に泣くこともあるんだよ」

僕はパトリックの顔をじっと見た。

「僕は泣きはしないよ。それに」パトリックは立ち上がり窓際へ歩きながら言った。「ルイゼッタは死んだんだ」

それまで絶え間無く続いていた波の音が一瞬途切れた。

「死んだ?」僕の言葉にパトリックが振り返った時部屋がぐらりと揺れた。

「満潮だ」潮が満ちて建物の土台部分にまで波が到達したのだとパトリックが説明してくれた。