人に話すと鼻で笑われるかもしれない。昨晩もYouTubeでフリーハグズを観て泣く。朝起きると外は雨だった。春の嵐。雨のち雨。毎日のように雨が続く。
昨日診察日、主治医と話す。今は脳の中の人たちはどんな感じ?静かです。
今日は話したいことがあるんです。手短かに話しますから。わたしは深呼吸、椅子に座り直し慎重に言葉を選ぶ。
遁走。わたしが高校2年の2月11日。Tとわたしは申し合わせた通りに電車に乗り数時間後、とある競艇場で会った。そしてその夜遅くに帰宅。
数日後事件は起こった。夜Tからの電話。おい、今公衆電話だ、すぐ来い、金はある。
わたしは何も答えない。隣に居た兄に受話器を渡す。Tか。兄の表情は険しい。何故ならTからのストーカー行為に当時のわたしは酷く悩まされていたのだ。Tは兄の幼馴染みだったがその当時無職のTは昼間から酒を飲み、酒臭いTが登下校中のわたしを家の近くで待ち伏せするのだ。
ちょっと行ってくる。兄が行ってしまうとわたしはすぐに不安発作を起こした。身体が震えた。家の外へと飛び出して行きそうな身体を強い力がぎゅうっと締め付けている。
後でわかったことだがこの夜Tは数ヶ月前まで勤務していた工務店の事務所の金庫から現金を盗んで逃走中であった。兄はそのことを知らないのだった。兄は何も知らないのだ。Tに悩まされていたはずのわたしが数日前Tとふたり競艇に行ったということを。そしてその日の記憶が当事者であるわたしに無いということも。
また電話が鳴る。Tだった。Tが言う。どういうことだよ、‥‥どういうことだ、もっと遠くへ行きたい、お前がそう言ったんだ、‥‥なんとか言えよ、‥‥俺にどうして欲しい、いったいどうすればいい‥‥
診察室でここまで話したところでわたしは長く息を吐いた。
それから?主治医が呟くように尋ねた。
‥‥わたし言ったんです。
消えろって。
主治医の顔が曇った。
いますぐ消えろ、わたしそう言ったんです。わたしがうつむくと主治医はカルテに何か書き込みまたすぐにわたしの方を見た。
Tは自殺はしなかった。きっちり三年間、三年間行方不明だったけれど、三年後またわたしの前に現れた。
主治医が尋ねる。‥‥警察?‥‥何も無かった。さあわかんない。‥‥思い出せないです。
マミちゃん。三年間行方不明だったTがわたしの名前を呼ぶ。驚いて立ち止まる。よく晴れた正午ごろの青い空を覚えている。教会の階段。Tの祖父が死んだのだ。Tの祖父はカトリックで葬式は教会で行われた。わたしはその日葬式のオルガンを弾いた。わたしは葬式にTが来ていると知らなかった。知っていれば葬式に出掛けてはいなかった。
Tには父親がおらず、母親は2歳の時に亡くなった。Tと兄、わたしは子供時代を兄妹のようにして育った。
表向きは、そう言ってわたしは主治医の顔をじっと見た。主治医は黙って小さく頷く。わたしは表向きはTのことをとても嫌っていたんです。Tは嘘つきで見栄っ張り。その時Tは年上の女とボロいアパートに暮らしてたんです。
でも‥‥。ほんとうはわたしはあの夜Tと町を出て行くつもりだったんです。主治医が小さく頷くとわたしは胸がいっぱいになった。身体と頭がグラグラとして吐き気がした。大きく息を吐く。腕時計を見る。時間だった。診察には始まりがあり終了がある。
頭痛の薬を。パトリックが言った。いつもの、はい、そうです、10個くらい。パトリックとわたしは診察室を出た。
Tのことが好きだったんだね。
帰り道、パトリックが言う。
わたしは泣いた。あれから何十年がたったとしてもわたしはTとのハグズを忘れないでいる。抱きしめられた瞬間の強い混乱と安堵。恐怖。苛つき。
君は死にはしないよ。パトリックが言う。
あの時死ねばよかったとか、考えてる?
頭が割れそうに痛い。そうか贖罪か。
だったらもっと痛くなればいい。もっと滅茶苦茶に痛くなればいい。
次の診察日までの一ヶ月を死なないで生きること。これが主治医との約束なのだ。