今日は美容院。美容院と病院て音同じだな。
予約は12時だったけど例によって早く家を出た。駅近くのパン屋のイートインで1910年の朝鮮併合の頃のゴタゴタについて書かれた本を読む。全部処分して一冊も無かったので図書館で借りた。だいたい日清戦争から読む。東学党の乱。併合か融和か。伊藤博文が死んで併合となった。35年戦争が始まる。
谷譲次、牧逸馬、林不忘。これは皆同一人物だ。みっつのペンネームを持つ作家長谷川海太郎のことをずっと考えている。林不忘は丹下左膳を書いた。隻眼隻腕。眼も腕もひとつずつしかないけれどめっぽう強いのだ。丹下左膳が売れて海太郎は妻とともにヨーロッパ旅行に行った。
海太郎は本名。いいな。海太郎なんて名前。確かあまり長生きしなかった。
谷、牧、林に共通するのはそれらのペンネームが皆漢字で三文字であるということだ。気になる。明らかに日本人風ではない。
谷譲次「踊る地平線」はかつて読んだ。海太郎は20代前半に渡米し留学したあと貨物船で働きながら南米、オーストラリアへと放浪する。
海太郎の弟は画家だが地味井(ジミー)なんとかというペンネームで小説も書いた。函館育ちの海太郎たちは英語が出来たらしい。弟は何人かいた。
パン屋を出て雨の中を小一時間歩いた。谷譲次を読むべきなのか。もちろん読みたいのだ。読みたいのは誰だ。わたしの中の誰だ。そんなことを悩みながら美容院到着。いつもの。うん、染めて。でもちょっと明るい色にしてください。
いつもは言葉が少ない美容院のお兄さんが、実は妻が夏に出産するのだと珍しく個人的なことを話し始めた。妻は子どもの名前の字画にこだわるが自分はそういう占いの類いが一切嫌いだと、占いなど信じる人間はダメ人間だと意外と硬派なことを話し続ける。
わたしは何と無く好感を持って話を聞いていた。
聞けば彼は2年前癌を患い今もスクリーニングを繰り返しているという。自分は父親を子ども時代に病気で亡くした、もし今自分が死ねば産まれてくる我が子は寂しかろう、しかしそれも致し方ないととつとつと語る。
わたしは何と言っていいかわからぬままぼんやりと髪を任せるしかない。
関東で難病外来に通っていた時、待合で三つ揃いのスーツ姿の若い男性を見た。高そうな革靴を履いていた。ヘアースタイルも決まっていた。いったい何処が悪いのか。付き添いの母親らしき女性も上品な服装をして居た。名前を呼ばれるとその男性はピンと背筋を伸ばし深呼吸をひとつ、診察室へと歩き出した。
唐突だったがふと思い出したそんな光景をわたしが話すと、彼はわたしが何の難病であるかなどということには一切触れず「そうやって闘っているんですね」とポツリと言った。
セットが終了。小さい美容院の一画の姿見にはわたしと美容院のお兄さんとが並んで映っていた。父親に成るには早過ぎる、幼い容貌。
来月までわたしは生きてまたここへ来ようと思った。
風が強いから気をつけてください。ありがとう、またね。はい。
嵐の中わたしたちは別れた。