多重人格NOTE その2 行動の矛盾

調子はどうですか?

仕事を辞めたころこんな風に挨拶されることがよくあった。この日本語のニュアンスは明解。どこか悪い所は無い?である。もっとわかりやすく言うと普通じゃない感じ。大丈夫? 変な感じになって無い?

解離性同一性障害としてのわたしの不調を見出したのは当時住んでいた自宅近所のクリニックの内科医である。もし彼のクリニックに行かなければDIDの治療は始まらなかった。感謝している。今はどうしているだろうか。

その年の春わたしは人生で2度目の韓国旅行。趣味で手伝っていた同人誌の仲間との旅行。ゆったり電車で釜山からソウルまで北上。早朝散歩するわたしは地元の人間に間違われ公園や市場で声を掛けられる。早口で韓国語をまくし立てられなんとか返す。片言の韓国語が通じるという嬉しさもあった。アガシ、アニヨ、イルボネヨ。わたしは日本人です。わたしはとうとう1度もそう言えないままソウルまで辿り着き帰国。

帰国後発熱。何日も熱が全然下がらない。電話帳で調べて辿り着いた彼のクリニックの診察室の机はひどい散らかりようだった。どうしてうちへ来たの?いや、だって1番近かったから。当時彼は開業医の父親が突然亡くなって勤務先の大病院を退職しクリニックを継いだばかりだった。僕の専門は麻酔科でさ。彼は力なく笑いつつも表情は険しい。血液検査の結果わたしは胆管癌の疑いで大学病院へと紹介となったのだ。

幸い癌は今も見つからないがそのクリニックに受診した時期を境にして、ありとあらゆる不調がこれでもかと出始める。

発熱は収まったものの血液検査の数値はなかなか改善しない。細々した仕事をやっつけながら大学病院のベッドの空きを待つ。わたしは当時商業誌に評論や短編小説をぼちぼち載せてもらえるようになっていた。物書きで食べていく。長年の夢が叶わんとしていた。多少の無理は願うところだ。今病気になるのは本意ではない。焦りもあった。そして入院。わたしは検査リストを見た。検査はひとつではなかった。入院期間はひと月はかかるという。一旦は検査を予約するも数日後一転検査を全てキャンセルしわたしは退院した。貴方がしたく無いという検査をこちらも無理やりするわけにはいきませんから。教授が言った。

大学病院からの手紙を持ってクリニックへ行くと彼が不機嫌そうに何やら呟く。嘘だろ、あの教授に楯突くとは君は将来大物になれるよ‥‥。わたしはその日は朝からひどい目眩で歩けないほどだった。目眩を治したい。じゃこれかな。彼は分厚い薬剤の手引きをパラパラとやりながら薬を処方。薬局で薬を待つ間わたしはその日の午後の出先への仕事のキャンセルの電話を入れる。薬を飲むと目眩は治まったが翌朝は突然の咳で呼吸が出来ないという症状に襲われた。明け方何十分も咳をし続けクタクタになり、午後診でクリニックを訪ねた。

喘息かなあ‥‥。彼は眉間に皺を寄せながら薬を処方。明日から二泊三日で取材の仕事なのだとわたしが言うと彼はわたしの顔をじっと見て死ぬよ、喘息で死んだ人僕知ってるよと言う。わたしは帰宅して電話を掛ける。ごめんなさい、そう、ドクターストップなの、うん、またね。わたしはホッとしていた。わたしは考える。わたしは本当に物書きになりたいのだろうか。目眩の薬、喘息の薬、胃腸の薬を飲んで眠る。その夜わたしは下血した。大量の鮮血であった。直腸静脈瘤の破裂だった。

その後も四肢麻痺や関節痛が周期的にやって来る。わたしのカルテには病名が増えていった。クリニックを受診して1年が過ぎていた。わたしは1年前キャンセルした大学病院での検査を再び受けるべく入院した。わたしはもう抵抗しなかった。抵抗しようにも頭も体も疲れきっていたのだ。

調子はどうですか?

主治医が尋ねる。

わたしは突然診察室で号泣した。日々様変わりする痛みその他の症状に打ちのめされていた。引きこもり暮らす日々。鬱状態に近かった。

主治医はわたしに精神科受診を勧めた。打ち返すように拒絶するわたし。わかった、じゃあ僕に話してよ、今週末時間を取るからさ。主治医の眼差しが温かくわたしを包む。わたしは強烈に主治医に惹かれていく。主治医も君は特別さと言わんばかりだ。一瞬で我々の瞳は見つめ合い離れない。

転移だった。

もちろんその時にはそんなことはまだ知りようもない。わたしは面倒なことに関わり合いたくはなかった。その時はそれだけだ。親密は回避する。そうやってそれまで進んできたからだ。

わたしは主治医にお別れの手紙を書いた。転院したい、紹介状を書いてくれと願い出た。紹介状を受け取り帰宅すると主治医から電話があった。

教えてほしい、僕の何がいけなかったのか、僕を怖がらないでほしい、君を助けたいんだ。君はおそらく多重人格だ。

わたしは丁寧にお礼を言って通話を切った。

大きな町の大きな本屋を訪ねて回る。多重人格の本を探した。多重人格の行動の矛盾は荒ぶる波のように周囲の人間を巻き込んでいく。保護者を求めつつも一方では親密を拒む。相応しい救済をひとたび見出した時フルコースで現れる華々しい身体の不調。

先生はどうしてわたしを多重人格だと思うんですか?わたしは主治医に尋ねる。

プラセボだよ。

プラセボ

君は薬が効きすぎるんだ。君とよく似た多重人格の女性に僕は前居た病院で1度出会ってるんだ。

わたしはあの日多重人格について余りにも知らなさすぎた。

その後もその主治医には数年前まで時々会いに行っていた。

わたしお利口さんになったでしょう?

どうかな?主治医が笑う。

今はもう会うことが無いが元気でクリニックを続けてくれているといいな。心からの感謝を込めて、そんなことを思うのだ。