多重人格NOTE その5 陽性転移〜抱きしめたい

ビートルズの有名な曲。「抱きしめたい」。とにかく触れたい、今すぐ君の手を取りたいと歌う一曲だ。

陽性転移は「抱きしめたい」である。それは強烈でコントロール不能、圧倒的な症状と言える。精神科へ通院して、わたしは陽性転移の症状にひどく苦しんだ。対象はもちろん精神科の主治医だ。

通院が始まり半年がたったころ主治医が他府県へ転勤、DIDを診てくれる精神科医はそんなに当時数多くない。悩んだ挙句150km離れた主治医の転勤先の精神病院へ月に1度通う日々が始まった。

長く続いたわたしの陽性転移はその時がピークだった。電車が好きなわたしは長く鈍行に揺られて遠くの町の病院に着く。朗らかに病院入りするものの、診察終わりの主治医とのお別れが出来ない。帰りたくない。まだここに、主治医の側に居たいのだ。

それはそれは苦しい。踏ん張って病院を後にするが猛烈な心細さが全身を襲う。わたしは辺りを見回す。誰でもいい。今すぐ強く抱きしめて欲しい。この右手を取って微笑んではくれぬものか。

わたしはひと月にだいたい大学ノート一冊分の日記のような文章を主治医に提出するようになる。時には詩を書いたり、短編小説を書いたり、はたまた女々しい泣きごとをつらつらと綴ったりした。全く自由にわたしはわたしと主治医との関係性を構築する。主治医はわたしの母になり、兄になる。恋人になり、親友となる。そのノートには何を書いても許された。伸び伸びと書くのだ。わたしの人生はこの時に折り返したのかもしれない。わたしは少しずつ脳内をオープンにした。治療は大きく進展した。

転移神経症という症状について、これがそうなのかと理解するまでにしばらく時間は掛かったが、わたしにそれが可能だったのはおそらく脳内人格のひとり(それは精神科医の人格であったが)全ては彼の調査と分析による。彼の名はジョージ・ピーターズ。顔はジャン・レノに似ている。

ジョージ・ピーターズは診察後の強烈な心細さが作り出した人格。ある日診察の帰り道の記憶が失われていた。わたしはその日処方された薬を受け取らずに帰宅。事態は深刻だった。陽性転移のすぐ近くには陰性転移があるからだ。陰性転移ではわたしは自殺をしやすい。

その日にジョージ・ピーターズが脳内に出現したのだろうか。解離発作が頻繁に起きている時期の記憶は想起しにくい。

そのころにはわたしはおそらく主治医を信頼し始めていた。

転移神経症というものは高い飛び込み台から飛び込んだ時の衝撃と言えるかもしれない。

信頼。

絆。

わたしの脳内にはそれらのタグは無い。

ねぇわたし先生が大好き。

誰かと親密関係を持つ。わたしの人生に大いなるTAKE2が訪れていた。そして飛び込み台から飛び降りるのは簡単だった。ここから飛び降りたら、つまり気持ちをうちあけたらきっと抱きしめてもらえるに違いないという、根拠のない幻想に包まれていた。

しかしわたしを温かく抱きしめてくれたのはジョージ・ピーターズだった。それで構わない。飛び込み台から飛び降りる。必要なのはそこだから。診察室でわたしはシャドーボクシングをするのだ。主治医はわたしをリングに立たせ、励まし、勇気を奮い起こさせるトレーナー。シャドーボクシングの日々は今も続いている。