大場秀章「バラの誕生」

大場 秀章さんの本は何冊か持っている。バラのやつはこれだけ。このバラについての新書は何度でも楽しく読めるお得な本だ。本全体が目次のようであり、少し読んでは本を閉じてもたもたとバラ園へ出掛けて行ったりする。わたしの大好物とするところの”はてな”の宝庫なのである。

 車で数分、歩いて15分、スロージョギングで10分弱のところに美しい都市公園があり、そこにフラウ・カール・ドルシュキが植えてあることを数年前に知り花の季節には足繁く通っている。

 そこのフラウ・カール・ドルシュキはつる品種であるが全然構わない。大好きなのだ。白い花弁は大振りで肉厚。こんな表現をするとじゃあクチナシみたいなあんな感じの花なのかと思われそうだがそれが違う。バラである。バラ特有の威風堂々もあり、かつまた儚い透明感も溢れていてそれは高貴な花だ。

 10年程前に庭をお願いしていた庭師さんからバラの古書を頂いた。庭師さんはバラマニアでかつてはバラ会に所属していた程だが老齢になり集合住宅に引っ越して以来バラからは足を洗ったという。定年後庭師の免許を取得。地下足袋に脚絆、股引のその枯れた風貌からはバラのバの字も出てこない感じがしてそれがまたよかった。

 その古書の中でわたしはミセス・ハーバード・スチーブンスという白バラと出会う。何人ものバラマニアたち絶賛の白バラ。特に秋咲きのミセス・ハーバード・スチーブンスは栄養不良なのか花弁が極めて薄く透き通るようだとある。季節が来てわたしは慌ただしくバラ園へと駆けつける。あったあった、MHSだ(ミセス・ハーバード・スチーブンスを省略しました)。もちろん秋にも馳せ参じては挨拶する。

 しかしそのバラ園のMHSは今ではひと株限り。一株、一株と弱まり枯れ果てていった。

 バラの交配には種子親と花粉親がある。種子親ってんだからそっちがお母さんで、花粉を付けるわけだからそっちはお父さんかと思うのだが、MHSのお父さんはニフェトスというティーローズ、お母さんが先ほど好きだと書いたFKD(フラウ・カール・ドルシュキ)だった。

 実はニフェトスの実物をまだ見たことがない。写真で見る限りで有るがニフェトスはすごく淡いキハダ色の弱々しい可憐なバラである。MHSの美しさの所以であるところの俯き加減で咲くというスタイルはこのお父さん、ニフェトス譲りであることがわかる。

 一方お母さんであるFKDは剣弁高芯で大輪。MHSが体に似合わず大きな花を咲かせてしまい挙句俯いてしまうのはこのドイツの白バラの気質なのだ。全く強いお母さんだな。

 そもそもこのドイツの白バラ(FKD)はハイブリッド・パーペチュアルといってブルボンローズとハイブリッド・チャイナの交配により出現した奇跡の品種である。四季咲きの大輪を、というニーズに応えた彼ら彼女らはそののちのハイブリッド・ティーローズの輩出に貢献するものの長く愛されるバラとはならなかったようだ。その訳はわからない。いや、調べればわかるのだろうが、なにぶん今ちょっと熊で忙しい。

 FKDは日本名を不二というらしい。1901年に作られた、一世を風靡したなどという表現からしてじわじわとうら寂しい。

 馴染みのバラ園にはハイブリッド・パーペチュアルの割と大きな花壇があるのでわたしは行くたびにぐるぐるとその周りを回っては眺めるのだが、確かに彼ら彼女らは何か歪な雰囲気を醸し出している。ぎこちなく、造花のような独特の赤い花を一面に咲かせているバロン・ジロー・ドゥ・ラン。

 わたしは個人的にはハイブリッド・パーペチュアルたちがそんなに嫌いではない。むしろ冬の時期に来てはちゃんと剪定されてお世話を受けているか、枯れた個体はないかなど欠かさずチェックしているくらいだ。

 いびつに生まれたのは自ら望んでではない。操作された成れの果てとしてであったとしても初夏に秋口にと、見るがいいと潔く蕾を付けるその姿を眺めては胸を熱くさせていただいているのだ。頑張って欲しい。生まれたからには生きてやる、だ。

 バラの歴史は園芸品種輩出の歴史と言っていい。

 大場さんのこの本には原種在りきのかたくなさはなく、歴代のバラの育成家たちへの温かい眼差しが感じられて、ヒトの表現者たる証拠をバラの花ひとつひとつに残した育成家たちの労苦にはまたしても胸を打たれる。

 スレーターズ・クリムゾン・チャイナとか、パーソンズ・ピンク・チャイナとかはわたしがバラにのめり込んだきっかけのバラである。

 ヒュームズ・ブラシュ・ティー・センティド・チャイナとか、パークス・イエロー・ティー・センティド・チャイナとかはわたしがティーローズにのめり込んだきっかけとなったバラである。

 大場さんの本を開いたり閉じたり、何年もやっているともうバラ園に行かなくても脳で年中バラが満開となりそれこそ病気だ。

 わたしもバラから足を洗って一念発起庭師の修行に出たいと思う日もあったりする。