山本周五郎「饒舌り過ぎる」

これまでずっと短編が好きだった。見よう見まね自分で書くのも、好んで読むのも短編だった。

30枚くらい。長くても50枚はいかない。今書いているのは毎日5枚くらいずつ書く。昨日で第一部が終了。昔ならここで終わっていたその感じがじわじわくる。なんだかもう疲れたという感じ。ここからがちからだ。

わたしの書く小説を読んだ知人はまるで小学生の作文だと笑った。エログロ無し。主人公はたいていあれこれモノローグしては再び日常を生きるのだ。

わたしは恋愛の経験値が乏しいせいで泥々とした人間関係に教訓を見出す力を持っていない。普遍的で共感を誘うような緊急事態を書こうとするとなんだか嘘っぽくなる。辺境での暮らしで見てきたことを、感じて来たことをただ書いている。

山本周五郎「饒舌り過ぎる」は短編集「おさん」に収録されている。今書いているやつは「おさん」へのオマージュといえるほど「おさん」は好きだが1番好きな話は「饒舌り過ぎる」だ。

恋愛ではない。エロスではない。ただひたすら親友を傷つけまいとする一念を貫いた無骨な男性の話だ。

そんなわけない。こりゃ作り話だ。

そう思う人は多いだろうけれど、実はこれはすごくかっこいい話なので何度読んでもすんなりと受け入れられる。

哀しくてやりきれない少数派のエロスがこの世にはある。丘の上に立って腕組みをして、わたしの中の哀しくてやりきれないの全貌を見渡す日は来るか。その時わたしは濃い、切れのいい短編を、エログロなやつを、そんときゃ多分書けるのさと疲れた脳で今日も考える。

山本周五郎はかっこいい人も書いたけれど、彼等は実はすごくかっこ悪くて、だからすごくかっこ良い。

ということでかっこ悪くてかっこ良い、要するにですね、誰にもわかってもらえないかもしれない一念を貫く人間だ。

洗練された、どうしても短編でなければならない短編などは書く力はない。今はそれよりも脳内で駆け出した無骨な男の足取りを止めずに。

1日5枚のエログロ未満、土砂降り傘無し以上の泥沼を目指しますっ。