Michael Schenker Group / Into the Arena

マイケル・シェンカー・グループを聴く。ギターと歌声。もう30年以上も昔の遠い日々の記憶の音だ。懐かしくて苦しい。虫喰い穴だらけの記憶の音が鳴る。

高校三年。夕方、駅前通りの楽器店。店舗奥にある小さな消音扉。そこが練習のために男の子たちが借りていたスタジオだった。生まれて初めてエレキギターの音を直に聴いた時は耳がおかしくなってしばらくは自分の声も判別出来なかった。

ギター、ベース、ドラムス。そして彼。彼もギターだ。彼はわたしの顔を見てあからさまに嫌な顔をした。キーボードのスイッチはここ。バンドに女を入れるなんてと言っていたドラムスの男の子が親切に手ほどきをしてくれる。全く知らない人たち。確か文系のクラス。わたしの分だと言ってスコアを分けてくれる。わたしはスコアの見方が下手で演奏中すぐ迷子になった。

4小節を4回繰り返しまた違う4小節を4回。スコアを見る。さて今はいったいどこらへんの4小節なのか、わたしは戸惑う。歌謡曲やパンクとは違う。フュージョンは起承転結のスクエア。

フュージョンと言われるのを件の彼は嫌った。MSGはロックかもしれないけれど彼のギターソロはきっちり丁寧、暴れ出す要素はまるでない上わたしの拙い知識で知りうるどのギタリストにも似ていない気がした。

あの時のMSGの練習から10年後、今から25年前、わたしも彼も27歳。大きな葬祭場は役職に就いている彼の父親の関係者で埋め尽くされていた。彼は飛び降り自殺をしたっていうのに交通事故で死んだっていうことになっていて、案内されて通された列にはあの日の学校帰りただただ真面目にこれでもかと4小節を積み上げた面々が並んで座っていた。

今日モリコロパークジブリ展へ行った。なかなかよかったよ。

「思い出のマーニー」。思い出のMSGか。ではいったいどこの水辺へ行けば彼に会えるのか。暗がりを彷徨う4小節はきっと繰り返しが足りないのだと、狂った脳がギターソロを待ち構える。

「思い出のマーニー」が思い出せないのはわたしが「思い出のマーニー」を観ていないからなんだけど、MSGのギターソロが苦しいのはきっと何か病気の関係だろう。

ええと、あと、なんだっけ。

フュージョン系のギタリストの名前を何人か、そういう音楽に詳しい友人から教えてもらったのだ。

さて、わたしの次の4小節を書かなければ。

こぼれるのを待つしかありません。

苦しくても虫喰いの記憶のまま進むしかありません。