旭屋出版「コーヒー&エスプレッソの教科書〜抽出・マシーン・焙煎の技術と科学」

サンダーバードに夢中の長女がサントラ盤のCDをリビングで流す。オーケストラの演奏するサンダーバードのテーマ。ここ最近の朝の家事のテーマ曲だ。

そう言えば昨日BOOKOFFでハノン500円だった。ハノンというのはピアノの教科書だ。食後のテーブルを片付けながらわたしがそう言うと長女はやおらキーボードを弾き出した。幼児の頃、ピアノを習っていた長女はこのハノンの曲が大好きだった。

転調したりリズムを変えてみたり、ひとしきりキーボードを弾きまくるとキーボードを仕舞い長女はモーツァルトのCDを聴きながら家事に戻った。ソナタグレン・グールド

わたしはモーツァルトはあんまり好きじゃないけれどインターナショナルレスキューのオーケストラよりはまあいいかな。

昨日の夜からポプラ社 川島良彰「私はコーヒーで世界を変えることにした」を読んでいる。波乱万丈のライフストーリー。睡魔と闘いながら結構読み進んだ。早くここ片付けて続きが読みたい。

父と母が喫茶店を始めた時わたしは小学4年。朝、誰も居ないお店のカウンターの台下冷蔵庫から飲みかけの牛乳パックを取り出して口を開ける。次は冷蔵庫から前日の残りの珈琲をよいしょと取り出す。大きなステンレスのポットだった。褐色の液体をこぼさないように牛乳パックがいっぱいになるまで注いだ。甘いのが好きなわたしはそこにガムシロップを好きなだけ混ぜてごくごくと飲み学校へ行った。

朝の残りのミルクコーヒーは帰宅後はおやつ代わりにまたごくごく飲んだ。弟や兄はクリームソーダ派だったがわたしはこのミルクコーヒーがお気に入りだった。

結婚して夫や娘たちと一緒にサイフォンで珈琲を淹れたことがあった。アルコールランプにはしゃいだ。その日離婚して独り暮らしの母がわたしの家に泊まっていたが母はサイフォンで淹れた珈琲をぬるいと言って嫌った。味噌汁でもなんでも熱々のものが好きな人だった。

カウンターで珈琲を淹れる母の姿を覚えている。母は30代。カウンターの奥のどん詰まりには背の高い赤いミルがあった。

わたしが牛乳とガムシロップの入らないブラックコーヒーを美味しいと思ったのは何歳の時だったろうか。ひょっとしたらわたしは今もブラックコーヒーを美味しいとは思えないかもしれない。

CDのモーツァルトピアノソナタは第二楽章に。

モーツァルトが嫌いなのは何故だろう。モーツァルトは息苦しいのだ。第二楽章が始まるといつもホッとする。きっとモーツァルトもここでホッとしているように思うのだ。第二楽章というのはキメキメの第一楽章やお風呂のお湯が溢れてるような第三楽章に比べるとお気楽だ。チャイコフスキーなどはそうでもない。どんどん崩壊をし続ける交響曲が数曲あるように思う。

川島良彰の本の次にはアントニー・ワイルド「コーヒーの真実」が控えている。

もちろん珈琲は飲むものだ。

本ばっか読んでねえで、さっさとカフェへ出掛けてって飲んだらいいだろう。頭の中で声がする。

エスプレッソマシーンを何処に置こうか。キッチンを見回す。

毎朝地球を救うのに忙しい長女には悪いがこっちは珈琲がマイブームなのだよ。

モーツァルトだってチャイコフスキーだって第二楽章を描いた。

わたしもわたしの珈琲を描く日が来たのだ。