父は言葉を続ける。
「俺たちは予告もなしに突然来た。悪かった。びっくりさせたな。お前も俺も精神科医だ。治療には順序があることくらいわかってるつもりだ。本来ならばこんな風に、大勢で、お前のところへ、来るなんてことはしてはいけないんだ。ドカドカとな。‥‥どうだ頭は痛むか」
父の言葉が染み入るように脳に響いた。僕が腰掛けたいと椅子の方を見ると父は僕をゆっくり椅子に座らせた。
「暖かくていい部屋だ」父はそう言うと自分も来客用のスタッキングスツールに静かに腰掛けた。
「俺たちはファミリーなんだ」父が言った。
「え?」僕は父を見た。
「これは俺が提案した。今からここで始めるんだ。ここで、この部屋でだ。家族療法ファミリーセッションをだ」
光盛医師はまだ床にへばり付いていた。白川医師は西側の窓に向かって立ち、外を眺めている。こちらを見ようともしなかった。
「このセラピーの目標は、いったいなんだと思う」父が僕に尋ねる。父のひと言ひと言は厳かに積もりゆく粉雪ように細やかだが威厳に満ちていた。
「小川先生」さっきから外を見ていた白川医師が振り返って僕を見た。
「いや、陽一郎君。君の脳の釜の蓋はもう開いてしまったんだよ。それはとても重い蓋だ。重い蓋は長い間君の記憶を封印していた。陽一郎君、君は幸い精神科医だ。わかるだろう。治療とは記憶の共有だ。僕は君が抱えている記憶の解釈が気になっている」
「解釈?」僕は言葉を繰り返す。
「解釈だ。真実に沿わない解釈だ。回りくどい話はやめよう。君は光盛医師のことを憎んでいるね」白川医師は淡々としていた。
「‥‥だからどうだと言うんです!‥‥それがあなたたちになんの関係があると言うんです!」僕は語気を荒立てる。
「覚えてなくてもそれでいいんだ。君がゆうべ僕に送ったノートの一文がとても気になった。君は書いていたんだ。『俺は必ず光盛医師に復讐をするのだ』と」僕が何か言おうとすると白川医師が言葉を被せた。「君はたぶん覚えていないだろう。‥‥書いたのは君じゃない。おそらくウィルベアだ」
僕は咄嗟に父の方を見た。父は顔を伏せていた。
「ウィルベアの文章には特徴があるんだよ。そしてウィルベアは頭がいい。一旦送信を済ませると自分の文章だけを消去してしまう。僕の受け取ったノートと君の保存しているノートを検証すればはっきり判ることだ」
僕は突然ボロボロと涙をこぼして泣き出した。びっくりした父が僕の顔を除きこもうとするのを白川医師が手で止める。僕は顔を上げて向き直り、差し出された白川医師の右手を素早く掴んでぐいとひねり上げた。白川医師を引き摺ったまま、僕はベッドのマットに乗り上げて仁王立ちした。腕をねじられた白川医師が痛みで大きな声を上げた。関節が壊れる音がした。父は絶句していた。
次の瞬間白川医師の身体は壁に叩きつけられた。身体が当たる大きな音と眼鏡が割れる音がした。僕は荒い呼吸で一瞬足がふらついた。父が僕を羽交い締めにする。額が割れて傷を負った白川医師がゆっくりと立ち上がり血だらけの赤い顔で僕を睨みつけた。
「ウィルベア落ち着くんだ。真実を知りたくは無いか。お前はまだ何も知らないんだ」
泣いているような悲鳴のような声だった。
突然右手を掴まれて振り返る。光盛医師が震える手で皮下注射用の道具をガチャガチャと鳴らしていた。光盛、早くしろと白川医師が言った。