躁かもしれない。小説を書き始めると躁状態になる。躁状態でなければ書けないと感じる時がある。
少し前のことだが友人の声楽のコンサートへ行った。脳の病気を発病してからコンサートや演奏会を楽しむことがとても難しい。思いの詰まった音や声が脳に蓄積してなんだか辛くなる。そもそもが感動しがち、大安売りの脳みそをしている。
そのコンサートはこじんまりとしたものだったし、友人は孫にピアノを教えてくれていて1度彼女の歌を聴いてみたい気持ちも強かった。
コンサートの数日後彼女となんやかんや話す。お疲れさま。わたしはどうにも上手い言葉が出てこない。久しぶりのコンサート体験、とにかくわたしは胸がいっぱいだったのだ。
すると彼女が言った。
ひとりきりになれるんですよ。
え?
わたし、ステージの上でだけひとりきり伸び伸び出来るんです。
わたしは道具箱をがさごそ。「クマのプーさん」のポストカードケースを取り出す。ディズニーではない。シェパードの原画ばかりのやつだ。わたしの宝物だ。丹念に選ぶ。これがいいな。プーとピグレットがふたりして歩くやつ。
孤独な”歌うたい”へ、まさかのクマのプーさんかと言わんばかり彼女も私も思わず笑った。これあたしの宝物なんだよ、貴女の歌良かったの、なんかカタチにしたくてさ。するとカードを見ていた彼女がハグを返してくれる。アーチストってハグ好きだな〜。しかもなんだかかっこいいハグをするよね。
きっと”歌うたい”にはステージという聖域があるのかもしれない。独りきり、誰も助けてはくれない。エレファントカシマシ「笑顔の未来へ」のライブを今朝は聴く。エレカシが好きなのは宮本という人が”歌うたい”だからだな。宮本はステージ等仕事では白と黒の服しか着ないというルールを何十年も守っているらしい。”歌うたい”としてのルーティンなのだろうか。
泣いてるメモリー、涙のテロリストは手に負えない。
宮本は歌う。
エレカシを聴くと小説が脳内でどんどん進んでしまう。ちょっと待ってくれ。今はそんな怖い景色は書きたくないのだ。意気地なし、弱腰、力を出せよと声がする。行こうぜ、先を進もうぜとベアの声がする。
洗濯物を干そうと外へ出た。もう冷たい冬の気配。澄んだ朝の空気に遠くの山の尾根が青い。
「スティングレー」は昔のTVドラマ。エンディング曲が素敵だ。マリーナは深海で生きる不思議な女性。声を失った謎の女性。マリーナどうか僕の側に居て、とダンディに歌い上げている。
いいな、こういう歌好きだなあ。あのね、物書きは弱音を吐いてなんぼですから。
パトリックが微笑む。
ダメだ。やっぱりわたしは歌うたいにはなれないわ。
え、なりたかったのか?
お、おう。