連載小説 小熊リーグ㉖

「犬の世界では嘘つきは通用しません」ウィルドッグは毅然としてそう言ったのと胸を張った。どれだけの時間が経ったのだろう。僕が意識を消失してから、ウィルドッグとウィルベアが僕に成り替わり医師たちと話をしたようだった。白川医師は肘を脱臼したらしい。オレぁついカッとなっちまってとウィルベアがうなだれた。労災だわ。ウィルドッグが言った。

僕は辺りを見回した。暖房が効き過ぎていた。そこは窓の無い小さな個室だった。四方の壁面がスポンジ状に加工されている。ベッドはとても狭くて低くて固かった。僕は素肌に青い検査着を着ていた。そして下着ではなく紙オムツを付けていた。

「そんなことを言われて光盛は困っただろうな」ウィルベアが言った。

「わたしがびっくりしたのは光盛先生が彼女の嘘をそのままで通したことよ」ウィルドッグが言った。

「だって光盛先生はそれがもとで離婚してしまったんだもの」ウィルドッグがそう言うとウィルベアは目を伏せた。

「ねぇ、‥‥わたしは信じていいと思うのよ。光盛先生はヨウ君の父親じゃないわ。けれどそうだと嘘をついたヨウ君のお母さんを心から愛していたんだって」

「復讐するとかではなくてもっと他にしなくちゃならないことがあるはずよ」

嘘をついた?愛していた?なんの話だ。僕はウィルたちの会話に加わろうとした。ところが声は次第に遠のいていって僕は再び意識を失った。

僕はその個室に数日間居たようだった。母が現れたり消えたりした。壁に小さな女の子が見えた。僕が担当していた鳥山さんによく似た女の子だった。おぼろげな意識の中で僕は女の子と数回会話をした。そして会話の内容を僕は覚えてはいられなかった。強い薬が僕の脳を寸断し、かき混ぜ、覆った。

個室を出た日に僕は転院した。

父と光盛医師はこの病院の職員ではない。ファミリーセッションなどと勝手なことをした挙句主治医が病室で患者に投げ飛ばされて大怪我をするなどという事件を起こしたことが理事会で取り上げられ、嘱託医として出張中だった白川医師は大学病院へ戻ることになった。

僕の転院先はその大学病院であった。

白川医師は暴れたのは君ではなくウィルベアだと僕から全治3ヶ月の怪我をさせられたことを全く根に持っておらず、引き続き主治医は辞めないのだと言った。

新海氏が手続きをしてくれて僕は精神障害者保健福祉手帳二級を取得した。同時に申請した障害年金も認定された。

病名は統合失調症である。

転院後は服薬が再開したが入院はせずに僕は大学病院のすぐ近くにアパートを借りて通院をした。

引越しにはマスターと咲子さんと新海氏が来てくれた。父と赤星さんも加わりアパートの部屋で輪になってみんなで仕出し弁当を食べた。みんなが帰ったあとも新海氏は残って片付けを手伝ってくれたが、やかて彼も帰ってしまうと僕は薬を飲みベッドに横になった。

怖いんだよ。

僕はウィルドッグに話しかけた。

努力よ。ヨウ君、真実を受け入れることよ。

僕は全てを白川医師から聞いて知っていた。母は僕を身籠ったその日、警察署の冷たい檻の中に居たという。母は高校生で街のラブホテルで売春をして現行犯で逮捕されたのだ。

母の物語は悲しい。

ウィルドッグに諭された通り僕には努力が必要だった。

新しい生活が始まった。