連載小説 小熊リーグ㉛

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僕は意を決して彼女に電話を掛けた。迷惑とかそんなことではない。彼女は極度の気分障害を起こしていたが、薬はそんなに沢山はないようなのでODを心配したのでもない。特別なことじゃない。なんでもないことだった。メールではなく、僕は彼女の声が聴きたくなったのだ。コールする間腕時計を見る。外は春を告げる長雨が静かに降り続けていた。夜中の1時を少し過ぎていた。

「ごめん」先に謝ったのは僕だ。

「ごめん」彼女の声がして僕はすぐに玄関のドアを開ける。彼女だった。最終に乗りタクシーに乗って来たと言う。僕はドキドキして何も言えず彼女を部屋に通した。

陽性転移、転移神経症よ。ウィルドッグが言った。

壊れものを扱うようにだ、そうすれば大丈夫だ。ウィルベアが言った。

考え得る範囲の壊れものを思い巡らす余裕はその時の僕にはなかった。ペーパードリップで珈琲を淹れた。見捨てられ不安?見捨てられるのが怖い?僕はそんなことばかりを繰り返し考え続けとうとう考えることがなくなった。

レインコートを脱ぎ、椅子に掛けテーブルで珈琲を飲んでいる彼女を黙って見つめた。

「怒ってるんでしょ」彼女がうつむいたまま言った。

「いや、そうじゃない。‥‥不安なんだ」僕は正直に打ち明けた。

「あたしが貴方を焚き火で燃やしたのよ、恨んでいるんでしょ!」マグカップを持つ彼女の手がガチガチと震え始めた。

僕は彼女の掌からマグカップを外すと彼女をそっと立ち上がらせ、彼女の目を見て言った。「ずっと会いたかったんだ」僕は彼女を抱きしめた。もう何も考えられない。理屈ではどうにも出来ない。クマでもなくイヌでもない。強い力が僕を支配していた。

僕の胸で用心深く彼女が全身の力を抜いていく。彼女の髪が僕の顎に触れる。

「ほんとうにいいの?先生とあたし、こんなことになってほんとうにいいの?」彼女が尋ねた。

「僕はもう医者じゃない」

僕は彼女の頭を撫でた。