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fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

連載小説 小熊リーグ㉝

https://instagram.com/p/-X-K2elg8L/

僕たちはその日から一緒に暮らすことに決めた。夕方、まずは彼女の実家を訪ねた。

彼女は一人っ子である。僕の話が終わると母親はわっと声を出して泣いた。しかし発病して1年間、これまで彼女の起こして来た自殺未遂を含む派手なアディクションに辟易していた母親はこれで厄介払いが出来ると言わんばかり同棲を難なく許した。父親は黙ったまま最後まで僕と目を合わせることはしなかった。

理由はわからない。何でもかんでも感情たっぷり、大袈裟に話す彼女の母親に対してうんざりしている感じもしたし、自分の娘が1ヶ月近くストーカー行為をしていたこと、そしてその一人娘のパートナーが統合失調症であるという事実全てを受容出来ないで打ちひしがれているようにも見えた。

その日はそれなりの筋を通したつもりで僕たちは部屋を出た。

夜ももう遅い時間だったがアパートへ戻ると待ち兼ねたようにして父と赤星さんが訪ねて来た。二人とも彼女とは初対面である。

統合失調症同士の結婚は珍しくはない。しかし解離性同一性障害のカップルというのは聞いたことがない。一過性の衝動的な同居生活に終わるかもしれないというような簡単な説明をした僕に対し父は目を閉じて右手で大きく後頭部を抱え込むと30秒黙った。

僕は身構えた。父がこの仕草をする時には必ず長い話が始まるのだ。それは僕の子ども時代から変わらない。いいかよく聞けという合図だった。僕はもう子どもではない。沈黙の中僕が立ち上がると父が赤星さんに言った。

「悪いが陽一郎とふたりだけで話したい」赤星さんは父の目をじっと見て小さく頷いた。赤星さんは訳が分からずおろおろする彼女を部屋の外に促した。アパートの近くの国道沿いにロイヤルホストがあったから私たちはそこに居るからと言って赤星さんはさっさと出て行った。彼女が僕の顔を見た。僕が頷くと彼女は少し微笑みまた不安な顔に戻りゆっくりと部屋を出て行った。

「同じだと言いたいんでしょ」話を切り出したのは僕だった。「僕のお母さんと光盛さんも出会ってすぐに一緒に暮らし始めたんだと。白川医師から聞いたんです」父はびっくりしたように僕を見た。そして長く息を吐くと僕の顔をじっと見た。僕も父を見る。その時思ってもみなかった言葉が喉を突くようにして出た。

「お父さんはどうして僕を引き取って育てようって思ったんですか」

「何故光盛ではなく、この俺だったのかということか」父が打ち返すように言った。僕は動悸が高鳴るのを感じた。

「僕は入院中に既に沢山の記憶を取り戻したんです。僕は5歳くらいでした。アパートの部屋には母が居てその隣には光盛さんが居た。母は大きな口を開けて笑ってた。僕は光盛さんとミニカーで遊んだり」

「‥‥施設のことは覚えていないのか」父が言った。

「施設?」僕は眉間にシワを寄せた。

「‥‥覚えてますよ。‥‥臭くて、暗くて。汚いぬいぐるみがボロボロの段ボール箱にいっぱい入ってた。女の人の声がうるさかった。子どもの泣く声‥‥」

「いつからいつまでだ」父が言う。

「え?」僕は父を見る。

「いったい何歳から何歳まで、お前がその施設にいたのかということを、それをお前は全部思い出すことが出来るのか」

僕は黙った。わからないのだ。

「白川医師から聞いたんです。光盛医師は母と病棟で出会って、退院した母と交際し始めたと。そしてすぐに母の妊娠が発覚して、それは母が風俗業をしていた時代の妊娠だったのに、母はその子を、‥‥お腹のその子を、光盛医師の子どもだと公表したと」僕は息がし辛かった。徐々に過呼吸に成り掛けていた。父が僕をじっと見て言った。

「‥‥大丈夫だ。‥‥いいんだ。お前は思ったことをここで話してもいいんだ‥‥」僕は目を閉じてゆっくりと息を吐いた。やがて気持ちが落ち着いた。

「俺と光盛は同期だった」父が話を始めた。

「白川は医局の先輩で退院後のお前の母親の主治医になったんだ」

「それも聞いた」僕は言った。

「俺はなんとか医師免許を取った落第生だったんだ。でも光盛は違った。光盛はなんでも1番だったんだ。光盛は期待されてたよ。麻酔科医としてアメリカへ留学も決まっていたんだ。でもお前の母親と出会って、彼女が光盛のマンションに寝泊まりするようになって、しばらくはそのことを光盛は白川には隠していた。彼女も初めはそれを了解していたんだ。でも子どもが生まれるっていうことになり、その子を、‥‥その子をどうするかということになったんだ」

「白川は言ったよ。風俗業の赤ん坊だと。しかも彼女は投薬治療をしている。催奇性の強い薬を何ヶ月も継続してのんでいる」

僕は考えた。僕の考えたことはその時の父や白川医師や光盛医師の考えたことだ。僕もついこのあいだまで精神科医をしていたのだ。母はその時は十代だ。普通に考えて堕胎する条件は揃っていると言える。

「美談だと思うか」父が呟いた。「光盛が自分が父親だと言ったことだ。風俗業をしていた女性を庇い、人生を掛けて護ったという、聞いた人を感動させる美談だと思うか」僕は父の言葉の意味が分からず黙っていた。

「春だった。早々とアメリカ留学の為の論文を書き終えて、あいつは6月にはカリフォルニア州の大学院へ移動する為の準備中だった。どうやらふたりで暮らして居るらしいということが白川にも伝わった。しかし彼女はちゃんと白川の診察室へ通院してくるというのに光盛は病院へ顔を出すこともしなかったんだ。そしてお腹の子は光盛先生の子だなんて、彼女がおかしなことを繰り返し始めた。入院させた方がいいかもしれない。白川は俺に相談してきたんだよ」

「そうこうしているうちに光盛の母親が田舎から出て来ることになってね、その前に俺がマンションを訪ねることにしたんだ。彼女が部屋に入れてくれたよ。驚いたよ。光盛は無精髭を生やして、髪は伸び放題でまるでホームレスのようだった。彼はゴミだらけの部屋で丸くなっていたよ。あいつはもう留学はしないと言ったよ」僕は一瞬父の言葉を疑った。