パトリシア・ウェルズ著「シンプリー・フレンチ」

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わたしの両親は飲食店を営む以前からもの珍しい食材を調達することを趣味としていた。

しかし何を持って珍しいというのかその定義は難しい。わたしの家の食卓はおそらくはニッポンの標準的な食卓では見られない珍しい食材に満ちていた。それらは我が家ではけして珍しい食材では無い。定番であるのだ。

春には山野草を豊富に食べる。ただし明らかに木の根と思われるものや各種豆の粉をドロドロにしたお粥には閉口した。

鯉やエイの刺身、タニシ、ドジョウも子ども時代からよく食べた。牛の内蔵肉のバリエーションは豊かで、名前を忘れたが灰色のスポンジ状のどう見てもこれは牛の肺であろうと思われるものは意外と美味である。

話によく登場したのは赤犬の鍋。わたしはまだ食べたことがない。たぶん死ぬまで食べるつもりはない。

少し前にテレビで見たのだが絹糸の生産地では繭を茹でたあとにぷかぷか浮かんでいるサナギを佃煮にして女工さんたちがランチに食べていた。実家が養蚕業を営んでいた友人に尋ねたがそんなことは絶対に無いと言っていたが、繭を茹でている時の匂いは独特だったとは言っていた。

ロブションという人がフレンチの巨匠であることは全く知らなかった。この本は読むところが多くて楽しい。

わたしが幼児のころ母はオリーブ油を既に使っていた。家には時折イタリア人やドイツ人の知人が出入りしていた関係だと思われるが母はオリーブ油だけでなくオリーブの実の塩漬けも料理に使っていた。ナツメグクローブも覚えている。ローリエは何処からか枝ごと貰っていた。それら母の怪しげな料理実験がわたしはたいそう苦手だったが。

戦争中に生まれた母は肉など食べることがほとんどなく、バターやチーズに至るまでを苦手とした。思えばハーブ類は肉料理の幅を広げたに違いない。

飲食店を始めた母が頻繁に作ったのは店の厨房のガスオーブンを使っての肉料理だった。ローストビーフやミートローフ、丸鶏のロースト、南瓜の肉詰めなど、母はシェフの修行をしていたつもりだったのかもしれない。

気が向けばスポンジケーキやパイも焼く。母が厨房に向かう後ろ姿には子どもたちを喜ばせるという温かみは無く、料理人のそれである。目には見えない白い炎のようなものがメラメラと立ち上り母を突き動かしていた。

フランス語で千切りのことをジュリエンヌという。ジュリエンヌという男性の料理人の名前から取られたらしい。このロブションの本には時折「ジュリエンヌする」という記述がある。

韓国のナムルは大根や人参を千切りする。母の千切りは美しい仕上がりだった。

母はトントンとジュリエンヌする。ジュリエンヌなんて優雅な呼び名だな。

もしもそんな風に言ったなら母は喜んだかな。

まあそうでもなかったかな。