クレイジーなエレカシ嗜癖の日々

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相変わらず今日もエレカシ嗜癖。今朝は「今宵の月のように」。宮本浩次がアコギを抱えて幾分朗らかに軽く歌い始める感じのYouTubeをアルコール嗜癖患者がスコッチウイスキーをぐいとやるように聴く。

ねえママ新しいアルバム買ったら?DVD付いてるんでしょ。家族も好い加減そんなことを言ってくれる。買わない。どうして。話したって誰もわかってくれないだろうからわたしは黙って家事に没頭する。

一昨日長女夫婦が映画の日だということで映画館デートへ。夜、孫の子守り。孫と主人と三人でリビングで「ベイマックス」を観た。6歳の孫はあらすじ&ネタバレをマシンガントークする。これは副音声か。それもまた良し。

昼間近所の魚屋でとびきり新鮮な鰯とアカシャ海老を買ってきた。鰯は開いて骨を外して塩を振りオリーブ油でソテー。アカシャ海老は顔の棘を折って丸ごと素揚げした。あとは厚揚げを焼いた。ビール。リビングで居酒屋ごっこ。

6歳は北海道育ちなので不味い魚は食べない。どうよ。6歳は黙ってむしゃむしゃと食べている。良し。わたしは安心してビールを飲む。

エレカシのライブが今月名古屋市であるようだ。チケットはまだあるのだろうか。しかしチケットが残っているとしても行くのは無理。わたしは精神病を患っており大きなホールで一時間強続く大音響に脆弱な脳みそが耐えられるはずが無い。そして生きて歌う宮本浩次はあまりにも刺激が強過ぎる。

失神して迷惑をかけるだろう。その後の数日は微熱で寝込んで家族も閉口するだろう。分かり切っていること、予期できるストレスは回避するのが大人である。

日本精神保健福祉士養成校協会編集「精神保健福祉援助技術各論」を読む。354頁の分厚い本。ケースワーク、グループワーク、コミニュテイワーク。ケアマネジメント等がまあざっくりと書かれている。エレカシ嗜癖はいったいどの項目に入るのか。

もちろんこの歳で何か資格を取るなんてことは全く考えてはいないのだが知識はあった方がいい。

いささか分不相応な内容の小説に手を出してしまったと確信している。こうした知識のアップデイトは無駄では無いと考える。

もしもエレカシのニューアルバムを聴いてしまったらライブに行きたくなるに違いない。ライブに行くことが叶わないのだ。ニューアルバムを聴く方向へ一歩踏み出すことには精神保健福祉援助技術教育的に意義が無い。

例えば60年代のアーチストのライブにリアルタイムで行けないのと同じだ。リスナーは名曲を聴くことで完結する。リスナーとは全く理不尽な存在だ。リスナーサイドにアーチストの意向など考える術は無い。

世界は広い。わたしのようなエレカシファンが居たっていいだろう。大丈夫、ニューアルバムはきっといつか買うよ。ライブツアーが終了し、何枚かのニューアルバムが次々にプレスされ、この「レインボー」がもはやニューアルバムではなくなっている。今は待てだと脳で声がするのだ。前向きで悲しいタイムラグだ。

さてわたしはラーメンを滅多に食べない。理由は明快だ。ラーメンは熱い。熱すぎる食べ物は食べられない。わたしは犬派ではあるが猫舌だ。

そしてもうひとつの理由はラーメンを美味しいと思ったことがとても少ない。味覚過敏と言えば聞こえが良いが熱いのに怯んでしまい食べ始めが遅れるという不手際も手伝って半分ぐらいのところでモタモタと麺が伸びてしまっている。

そして美味しいと評判のラーメンのスープは旨味が多過ぎるように感じている。濃すぎるのだ。美味しいなと思うのはやはり半分ぐらいまで。濃い味付けに飽きてしまいこの辺りで白飯入れたいな、とかアレンジしたくなるのは育ちが悪いせいなのか。そもそも胃が小さいのもハンデである。

わたしには目標がある。わたしの中ではラーメンをガツガツと食べられるように成ればエレカシのライブへ行けるのではないかという全く連合弛緩極まりない目標がある。

ライブへ行ける様になってホールで意識が遠ざかるころわたしはこんな風に自分を励ますんだよね。ラーメンなんだ、エレカシはとびきり美味しいラーメンなんだ。今しか食べられないぞ。美味しいラーメン屋に行列が出来るのは当たり前だぞ。みんなが集まるのは当たり前だぞ。頑張れ人生辛抱だ。

近所のめちゃ美味しい塩ラーメンは年に1度ぐらい行く。

胃腸の具合とエレカシライブを一緒に論じるな。大袈裟だぞ。グダグダ言わんとニューアルバム買えや。変人め。罵りが脳内を駆け巡る。