桜井和寿ー永遠

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http://youtu.be/J71QXJF3K74

 

この曲はKANの曲だ。ミスチルが苦手なのはボーカルの人の歌唱に癖があり、気になって長く聴いて居られないからだったのだがこのKANの曲に限り、これは桜井和寿でなければならないとまで考えるようになったりする。

ミスチル好きの友人に聴かせたところ同意を得られてまことに嬉しい限りだ。

 

洋楽が好き、と言う人は何だかカッコいい。わたしが日本語の歌が好きなのはおそらく日本語が好きだからだ。そしてメロディアスなコード進行の曲に滅法弱い。ワンパターンだと言われようとわたしはそれで十分だと開き直る。

 

そしてわたしは何にでも歌詞をつける癖がある。最近歌い上げているのはラジオ体操(EテレのTV体操ですが)の前にやる身体をほぐす的な「みんなの体操」のメロディだ。

 

週に数回、「みんなの体操」のピアノ伴奏の日があり(その日以外は録音伴奏)、名前を思い出せないが初老の眼鏡のおじいさんの弾くピアノ伴奏の音が好きでその日の体操はとてもわくわくする。抑え気味の音。巧みな、奥行きと幅のある自制の効いた演奏。

 

「みんなの体操」のサビ(あるんですよ)ではわたしはたいてい何やら即興で歌詞を歌い上げている。

 

KANは歌詞を付ける作業に数年かかるなどと何処かで書いていたが、これはもちろん彼のジョークだと思うがわたしはその真逆で詩とメロディはほぼ同時に発生する。たいていその場所は湯船であるし、時に散歩中なのでこれは間違いなく鼻唄というやつだ。

 

悩み抜いて歌詞を精錬するKANの言葉選びは素晴らしい。この「永遠」の「不安気な理論家」という歌詞が好きで何度も泣きそうになる。

 

「たとえば僕がちょっと痛がっていても、少しのあいだだけ、むこうを向いていてください」などはもう何十年も苦しみ抜いたこころの病気のわたしの心情をさらりと歌ってくれていて胸にこみ上げるものがある。

 

病気のわたしは親しい人からこれまで何度も繰り返し遠ざかり逃げてきた。拒絶、拒絶、遁走。笑顔もしたり顔もノーサンキュー。決して理解を許さなかった。それが一定の距離を保ち続ける関係でない限り視線を合わせられなかったのだ。わたしは手負いの迷い犬であり、幼児のままで生きている。

 

昨日BSで猫ヘルパーを観た。猫ヘルパージャクソン・ギャラクシーは先住猫からいじめられ易く逃げ回るばかりの雌猫の歩き方を遊びを通して改善する。まるで奇跡のようだった。イタチのようにほふく前進していたいじめられ猫がある時から堂々と、ゆったりとリビングを横切り歩くようになった。そして先住猫はもうその雌猫を追いかけることをしなくなったのだった。

 

別れの日、ジャクソンが眼に涙を浮かべて、ゆっくりと近寄るその雌猫に「hi.my girl friend」と優しく呼びかけアイコンタクトを取る。わたしは思わず涙がこぼれる。ママ猫嫌いなのに何泣いてんの?家族が笑う。わたしも泣きながら笑った。

 

愛しき人よ、桜井は歌い上げる。

 

わたしもほふく前進の時代をもう終えたい。

 

もう戦争は終わったのだよと、わたしはジャクソンを真似て、心の中に棲むわたしの友人たちひとりひとりに優しく声を掛けて呼びかけアイコンタクトを取りたいと思っている。