小学生の時だった。生まれて初めて目の前でギターを弾く人見た。厳密に言えばあれは弾き語りだった。近所に住んでいた同級生のNの兄ちゃんだ。その日わたしはNの家で朝ごはんを食べていた。
なんだかよくわからないがその日わたしは早朝よりNの家でゴロゴロしていて、Nの家族の遅い朝ごはんが始まるとよかったら一緒に食べんかと食卓に呼ばれた。
Nの家族はとても貧しくて朝ごはんはいつも白飯と桃屋の瓶詰めだけだったのだが瓶詰めのバリエは割とあってその日はイカの塩辛だったのを覚えている。
食べんか、と呼ばれたってことはきっとわたしは朝食はまだであったのだろう。親戚でもないNとは同じクラスになったことこそなかったがNはわたしの家庭内のなんやかんやに通じており、Nとわたしはつうかあの仲であった。
桃屋のイカの塩辛と白飯の朝ごはんを遠慮するな、と勧めてくれるNの母親は結構年寄りでNにはすごく年上の兄ちゃんが一人居た。
Nの家族は皆本当に仲が良かった。その日遅い朝ごはんのあと、Nの兄ちゃんがおもむろに食卓の脇でギターの弾き語りを始めたのだ。
昼寝をすると
夜中に
眠れないのはどういうわけだ。
わたしが初めて聴いた弾き語りは井上陽水の「東へ西へ」だった。
不思議なことだ。弾き語り兄ちゃんの顔や声よりも、目を細めて兄ちゃんを眩しく見つめるNの顔をしきりに思い出す。俺の兄ちゃんかっこいいだろ、と自慢気に言うNをだ。
Nは目立たないが地味に実力があった。中学生になって、ある日クラスメートの女子が自分はNに恋をしている、どうか取り次ぎをしてくれと言って来た時、わたしは寡黙なNを評価したそのクラスメートの純粋な関心に感動をしたし、一途に惚れられたNを誇りに感じた。
わたしはいそいそとNの家へ出向いた。ところがNは打ち返すように首を横に振った。そうかそれなら仕方ないな。わたしは翌日速攻クラスメートに見込み無しだ、Nなど詰まらない奴だ、と言ったのだがクラスメートはなかなか諦めなかった。大人になり、Nとそのクラスメートは結局結婚した。わたしは昔も今も恋をするとかの意味が分からずに人生を生きているのだとすればそれは虚しいことだと言える。アンドロイドも恋をする時代だ。
あの日ふたりして片手に白飯で小さな桃屋の瓶を突ついて食べた。
円満な食卓の井上陽水の弾き語り。
もしもNとわたしがバンドを組んだなら間違いなく四畳半フォークの世界をリアルに貫いただろう。
いや四畳半フォークではない。わたしは当時から狂っていたのだから。
わたしは井上陽水は「闇夜の国から」が好きだ。
ってことで今夜は「闇夜の国から」を聴いています。