徳川林政史研究所編「森林の江戸学」

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今日は名古屋港水族館。ジェンツーペンギンが散歩するというので見に行った。可愛いかった。

ねぇペンギンていったい何のために生きてるの?

可愛いを連発しながらわたしは長女にそんなことを尋ねてしまう。長女が憐れむような目でわたしを見る。

ペンギンの散歩を観て早々に帰宅して再びこの江戸時代の森林管理の記録に取り組む。昭和30年代には日本中のブナを伐採した。その時のブナはどうなったのか。

寛文4年林政の改革。江戸の元号にまだまだ馴染めないから1日かけても数ページしか読めない日もある。木の種類。中山道って?面白い手描きの地図に見入ってしまい脱線。

木曽はここから全然遠くない。歩こう。行ってしまおう。

対馬は?対馬行くんだろ。

ドイツは?木彫り教室始まるんだろ。

大丈夫だ。もう何十年も多重人格をやってんだ。誰にも迷惑をかけない限り、いつだって賞味期限切れの案件は消え去るのみだ。

ただしわたしは少し変わったようである。けっして消えてゆかない何かを抱えているのだ。それは温かい記憶だ。小さなぬいぐるみの熊とわたしとの有機的な記憶である。

彼が目が見えなくなるなんて思わなかったし、咲子さんが癌で死んじゃうなんて知らなかった。自分で書いてる小説なのに自分の思い通りに書けないなんて奇妙なことである。

10年前わたしが援助していた全盲の男性は歌手だった。恐ろしい偶然だがその後わたしにはもう一人全盲の友人が出来たが彼はスーパーマンのように無闇に明るくてサプライズ好きだった。珈琲と外車が好きで道を歩く時はわたしを内側に寄せてくれるジェントルマンだった。

色弱の人から何通か手紙を貰ったのは15年ほど前のことである。当時彼は思春期だった。わたしはその時は彼でなく彼の母親と何度も語りあった。彼女は色弱の因子を運んだ自分の存在を心の底から激しく責めていた。

DIDと色覚異常は類似している。完全に狂う、もしくは完全に見えなくなるのでなければ障害を隠して暮らす。見た目には普通に見えるが日常には困難が存在する。

DIDは色の刺激に弱い。わたしは新緑を目の当たりにすると刺激の強さで涙をこぼしてしまうことがある。赤い林檎を見つめては動悸が高まることがある。

DIDの快復はまるでひとつひとつの色彩を得るようであり、脳がその度に重くなるのだ。色など要らないと思う時がある。

歌手の彼も、陽気な彼も、責め苛む彼女もわたしの手の届かないどこかで今も苦悶していることだろう。それがどうした。わたしは教祖にでもなるつもりなのか。わたしは未だにわたし自身を救うことすら出来ないではないか。ひとりで歩いてゆくことすらまともに出来ないというのに誰かを可哀想だなどと偉そうだぞ、見当違いも甚だしい、慎みを忘れるなと脳内の声が言う。

進歩してゆ来たいのだ。わたしは変わりたいのだ。少しずつでいい。内面を刷新してゆきたいのだ。

勇敢に進む姿に憧れている。

英雄でなくていい。

名古屋港水族館のお土産屋さんでキャプテンベルーガを見た。

ベルーガって笑ってるんだよね。

なんかいいなあ。