モーツァルト トルコ行進曲 (グレン・グールド)

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わたしは走るのが好きでいつでもどこでもたいてい走っている。今は1キロ9分弱のスローペースだ。朝ゴミを出した帰りの直線は必ずダッシュする。そこはダッシュだ。なんでかな。わかんないけど。

3キロくらいの移動ならばまず走る。夏はTシャツだから良いが冬は3キロを超えると汗をかくのでなんとなく今日は走るかなという日はランニングウエアとなる。バッグはボディバッグみたいなのになる。冬は暑くても指先は冷たいから手袋は欠かさない。

走ることで距離を計測する時もある。五分で着けばだいたい5百メートルだ。速度よりも手足の感じ、心肺の感じで距離を測る。長距離(と言っても長くて7キロくらい)を走るときにペースが上がらないように距離を見ながら走る。それで多分こんな癖が付いた。

幼い頃からグレン・グールドのピアノばかり聴いて育ったせいでそうでないピアノの音、特にバックハウスを聴くと身体の調子が悪くなる。

小学生の低学年の時、モーツァルトの「トルコ行進曲」を弾いてみたくてみよう見真似足踏みオルガンで弾いていた。

バックハウスの「トルコ行進曲」をどこで聴いたのかは覚えてないけれど大切な何かが台無しにされたように思えたのを覚えている。

中学高校時代は近所の教会のパイプオルガンを毎週弾いていた。鍵盤に貼りつくように弾くわたしの弾き方は幼少期の足踏みオルガンを経てこの時代に完成されたものだ。

教会では時々結婚式があり結婚式行進曲を弾くことがあった。ワーグナーのやつよりもメンデルスゾーンの方が人気だった。パイプオルガンならワーグナーだと思いつつもメンデルスゾーンを弾いた。退場ではエディット・ピアフの「愛の賛歌」を弾くことがあった。哀しいサビで退場が終わらないようにと新郎新婦にはもったいつけて出来るだけゆっくり歩いて帰って貰う。泣いているようなオルガンのシャンソン。そういうのもいいなと思ったりした。

最近ピアノが弾きたいんだよね、という話を夫にぽつぽつ話していたら涙が止まらなくなりとうとう大泣きする幼児のようになっていた。

ピアノ買おう。夫が言う。

高いよ、それに置けないよ。

電話で聞いてみようよ。お金ならあるじゃん。

わたしたちには丁度今風呂を新しく備え付けたり、ちょっとした海外旅行へ行ったりするくらいの少ない蓄えがあるのだが、まさかそれでピアノを買うなんてことは。

まさか。

それが君のライフラインなら僕は買ってもいいと思っているんだよ。夫がかっこいいことを言う。

夫とわたしは中古のピアノを取り扱う業者をよく知る友人に会う。なんやかんや話した。なにピアノがライフラインだと、風呂よりピアノだと〜。友人は昼間から酒飲んで上機嫌の親父のようによし任せとけと何度もうなづいた。

誰にも言えないよ。風呂付けないでピアノ置くなんてさ。ねえもしかしてわたしたちは馬鹿じゃないのか?わたしは夫を見る。忘れていた。わたしもこの人もそこそこ馬鹿なのだった。

アンドラーシュ・シフはバッハの末息子とも呼ばれているピアニストだ。彼のピアニシモは素晴らしい。

わたしもわたしのピアニシモを再び追求してみたい。

集合住宅だし。