吉川弘文館 宇佐美ミサ子「宿場の日本史〜街道に生きる」

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(駅逓里程表  於  北海道開拓の村)


天気が良いので洗濯機を回す。


昨日自転車で片道10㎞越えの道程をタブレットを購入した家電ショップまで往復。久しぶりポタリング


タブレットはアプリ画面を表示のままでフリーズした。海坊主さん(家電ショップの店員さん)はアンインストールですよ、と満面の笑顔だったが何度追い払っても損傷アプリ画面は舞い戻る。海坊主さんの表情が曇る。こんな故障初めてだ。海坊主さんはメーカーさんへ電話を入れる。


結局メーカーのテクニカル担当さんとわたしとで海坊主さんの電話で直接やりとり。電話後済みませんでしたと海坊主さんのiPhoneのディスプレイに付着した自分の顔脂をハンカチで拭き取る。家電を壊しがち人生の自分がちょっと情けなくなった。


家電ショップを出た。疲れてヘロヘロだったがもう少し走れば大きい図書館がある。中山道の本をと言い聞かせ気を取り直し自転車を強く漕いだ。


今日はひたすら読書。ツキノワグマの写真集もGETしたが中山道とは何か、宿場とは何か、はてなが止まらない。この「街道に生きる」は東海道がメインであるが五街道の成り立ちや中山道の意義などを古文書から論じていて良い本である。


入り鉄砲に出女の関所、大名行列で本陣てんやわんや。限られた字数で多くを語らねばならぬという作者の困惑が伝わってくる。新書はどれもそんな文面の緊張感がたまらない。選りすぐり、これだけはどうしても伝えたいのだと凝縮された内容が小気味良い。


中山道には大きな河川は無いが東海道には幾つかある。江戸時代川越えは旅のネックであったようだ。江戸時代には架橋規制というものがあった。大型河川に橋を常設しないという幕府の方針である。大掛かりな工事を行う無駄を省いたという側面と、江戸のお城に馬を駆る軍隊が押し寄せて来ないようにというセキュリティ目的があったとある。


では旅人はどのようにして大型河川を渡ったのか。人足と呼ばれる男たちが旅人の乗った板を担いだり、直接旅人を肩車したりした。中には強引に肩車をしてジャブジャブと川に入り渡った後に法外な料金を請求する悪徳川渡し業者もいた。


朝鮮やオランダなどの外国の旅人には漁船で船渡しをした。天皇御一行の旅ならば人海戦術で即席の土橋を盛り上げた。どうやら宿場の暮らしは苦労が絶えなかったようである。


今日もまた熊とは無関係の事柄に夢中の1日が暮れてゆく。台所で葱と大根を蒸した。葱はオリーブオイルとホールクミンでマリネした。薄口醤油を少し垂らした。キューブ大根は煮立てた甘酢を掛けてピクルスとした。


江戸時代の旅の本に夢中になりながら引き続き晩御飯を作る。


丼に冷蔵庫の残り物を入れる。先週シェフをしている婿からパンチェッタを入手した。パンチェッタはカタチはベーコンだけれど食べてみると普通に豚肉である。あれはイタリアの塩豚なんである。


あると思っていたトマトが無くてセロリが残っている。人参玉葱。ジャガイモは無い。材料と水とスパイスを入れた丼を丼ごと蒸す。


そうして再び江戸時代の旅のページに戻る。まだまだこの先「江戸の出女」や「宿場の飯炊き女」のページが控えている。どうしよう。面白そうだ。


ツキノワグマを一旦挟む。ツキノワグマって小さいな。黒いなあ。ちょっと待っててね。また後でね。本の中のツキノワグマに挨拶。


江戸時代の山にもツキノワグマは居たんだよね。そりゃ居たよね。ツキノワグマたちの目に御一新はどんな風に映ったのか。


やっぱり早く中山道を歩きたいなあ。


博物館とか行きたいな。